何もない。

サルバドール・ダリ。僕が彼の絵を初めて知ったのは中1美術の教科書「サンファンデラクルスのキリスト」だった。僕の時代の教科書は主にゴッホやセザンヌ、マネといった印象派画家の絵画が主流で僕にとっては余り刺激がなかった。そこにダリである。インパクトが凄まじい。磔にされたキリストを俯瞰し、スペイン・カダケスの海辺が描かれる。僕は圧倒され彼の絵画世界の虜となる。もう一枚載っていたのは確か「内乱の予感」だったと思う。この二枚は僕がダリを追いかける理由となるに充分だった。

ダリの生涯、画家人生。辿っていく彼のエピソード。そこで欠かせないのは彼の妻、ガラだ。ダリの才能を存分に開花させ、天才へと導いたとされるガラ。彼女が愛した一枚の絵画がある。パン籠の静物画「パン籠」である。机の縁に置かれたどこか孤独で寂寥感のある籠の中のパン。「記憶の固執」「ポルトリガトのマドンナ」「ナルシスの変貌」。多くの傑作、大作を残したダリの絵の中でもこの一枚を彼女は選んだ。まるでニューヨークの喧騒もパリの華やかな画壇も退けるような「何もない」静かな空間。後年ダリが「私の絵の中で後世に残るのはごく僅かだと思う」と語ったように、ガラもまた2人の生涯は無常の世界へと飲み込まれていくことを知っていたのかもしれない。

その最愛のガラ亡き後ダリは完全に創作を停止する。ジローナのプポル城に引き篭もるダリ。だが彼は不運に襲われる。寝室が火事となり救急搬送されるのだ。その時ダリは身辺の世話をしていたデシャルヌにこう伝える。「デシャルヌよ、もし私が病院に行く前に死ぬようなことがあったら……約束して欲しい。まず最初にフィゲラスにあるガラ・サルバドール・ダリ美術館へ私を連れて行くと」。

富と名声。多くの支持者、信奉者を勝ち得たダリと言えども、最後にはガラと歩んだ人生の結晶たる美術館へのみ、運ばれることを求めた。彼も全生涯が、全作品が何もない場所へ収束するのを待ち望んでいたのかもしれない。ダリの複雑な心証、センセーショナルで壮大な人生を顧みて、僕は一枚の絵画「パン籠」に帰る。そこは静謐で無常を言い諭すような何もない場所である。ダリと同じように僕らは多くを手にし多くを失い、最後にはなにもないところへと埋葬される。僕はパン籠とダリ・ガラ神話を振り返るにつけ、そう思わずにはいられないのだ。

keisei