扉はいつだって不気味だ

あなた向けにカスタマイズされたあなたにとってぴったりの文章があなたにとって最も好ましい形で展示されているスペース。それって実はすごくつまらなくないですか?

最近パチンコ熱が再燃して永遠にユニコーンガンダムを打っているので更新が遅れてしまった。でもサイトのことはずっと考えていて、ここ最近ライターさんを募集する旨をtwitterなどで公開した。原稿料をお支払いできる段階にないのが大変心苦しいのだけど、もしこのサイトの雰囲気が好き、或いは新しい場所に自分の文章を載せてみたい、などご自身でメリットを見出せる方は是非一声かけてほしい。夢を語ることはいつだって自由だ、という観点に立ち返るならいつか適切なギャランティをお支払いできるようなサイトにしたい。

「誰でも」という応募形式を取るかどうかは少し懸念もあった。実際のところこのサイトを作るにあたって「セレクトショップ」的なこだわりを売りにしていく考えも当初はあった、というか少なからずこだわりはある。けれど、それを押しのけても「雑多さ」に舵をとることが必要なのではないか、と今は考えている。そう考えたのは僕が「カルチャー系Webマガジン」がどうにも苦手だからだ。冒頭の文章にも掲げたが、適切な文章が適切な形で適切な読者に届けられることに飽き飽きしている。

例えば、ファッションやアートに関心が高い読者に向けた、ハイセンスで細部にまでこだわられたWebサイトがあったとして、時にロハス系の特集が組まれたり、「わたし、職場でこんなこと経験しました」みたいな体験談が載っているサイトをイメージするのはとても簡単だと思うのだけど、そういうサイトを見るにつけそこに「底辺パチンコライターが行く!」とか「他人の家の軒下でこっそり1ヶ月生活してみました!」みたいな記事があればな、と残念に思うことがある。それは僕がそういう「ガサツな男」の書く文章を読みたいからではなく、サイトデザインとして「不気味なもの」に出会えない設計になってしまっているのがとてももったい無いと思うのだ。

僕たちはふと気まぐれに立ち寄ったお土産屋さんでいにしえの拷問器具を模したものが唐突に置かれていたりするとそれを不気味に感じるだろう。でもその拷問器具のお土産が実は単なる悪趣味ではなくてその土地にもともと住んでいた隠れキリシタン由来のものだったとしたら? 僕たちはそういった驚きや畏れの感情を入り口にして未だ知らない豊かな世界に出会うことが多々あることを経験的に知っている。だから特定のターゲットに的を絞った、極めて洗練されたサイトを見るにつけもったい無いな、と思うのだ。そこには外部への扉が無い。

話を戻そう。
最初にこのサイトを作った時、余計なものはなにもなく、目に入るもの全てが自分にとって大切なものであるかのようなところをイメージしていた。ただそれはとてもつまらないものだと気づいた。誤解されては困るので一応言っておくが、これまでこのサイトに寄稿してくれた僕の友人の文章はとても面白い文章だからまだ読んでいなかったら是非読んでほしい。でもそういうことじゃなくて、本来まだそれが面白いか面白くないか、そんなことすらわからないような「雑多さ」の中に少しだけ舵を切りたい。「こだわり」と「雑多さ」、相反するもののように思えるけど一体どうなるのか正直わからない。けど先日パチンコで6万ほどスったので、そろそろやっていこうと思っているわけです。何か書きたかったらお気軽にご連絡ください。僕は僕の求めていないことを求めていますので、どうかお気軽に。twitter

ukari