ずっと。もうずっとライ麦畑のキャッチャーって一体なんなんだって疑問を抱えて生きてきた。中学生の頃初めてサリンジャーに触れてからかれこれ二十年弱の歳月が過ぎたのだろうか。最初にはっきりさせた方が良いと思うのだけど、実のところライ麦畑のキャッチャーが一体なんなのかはまだわかっていない。けれどだいぶ惜しいところまで迫っている感じと、猫を追いかけた先に袋小路に出くわした感じの、その中間あたりの感じまで来ている感じがする。人間、適当なことを喋ると「感じ」という言葉を使いがちだ。
僕はよく過呼吸を起こす子供だった。別に何か直接的な感情のベクトルがこちらに向いていなくとも、教室が騒がしいとか、寝癖を直してくるのを忘れたとか、そんなどうでもいいことで度々過呼吸を起こして、パニックになったまま教室を後にすることが多かった。いつもだいたい下駄箱の端っこでうずくまっていると呼吸はいつもの調子を取り戻してくれるのだった。ただその日はいつもとはちょっと違うことが起きた。若い女性の英語教師が心配そうに僕のことを見ていたことに気づいた。
心配というのはあまり的確な言葉では無いかもしれない。彼女は僕の過呼吸が治るのをじっと待っていた。そうして僕が顔をあげると「これ貸してあげるよ」と唐突にサリンジャーの有名な長編を僕に差し出した。題名は「ライ麦畑でつかまえて」だった。当時もう村上春樹の新訳は出ていたと思うけど彼女が貸してくれたのは兎にも角にも「ライ麦畑でつかまえて」だった。
当時のことを詳らかに覚えているわけでは無いけど全部読んだはずだ。メリーゴーラウンドの描写が幼心にとても美しかったのを朧げながら記憶している。でも重要なのはそこじゃない。結局のところライ麦畑のキャッチャーがなんなのか、当時の僕には全然と言っていいほどわからなかった。実際、多くの読書好きが中学か高校で出会うであろうこの物語を、ちゃんと理解するのは不可能だったと思う。だってこれは青春時代の終わりについての物語なのだから。
多分僕より10歳以上年上の英語教師はきっと青春時代を振り返りながら、聞こえてくる音のボリュームを下げる術も知らず、見たい映像を切り替えるための方法もわからないまま、全ての出来事に多感に反応するしかなかった当時の自分をホールデン少年になぞらえて、そして僕にその影を見たのだろう、と今になってわかる。彼女は自らの青春時代に線香を供えるつもりで僕にあの本を送ったのだろう。ちなみに僕は高校時代にも国語教師に石川啄木の歌集を貰ったし、養護教諭に大島弓子の全集を貸してもらった。みんな自らの青春を供養したかったのだ。
さて。僕も30を過ぎてようやく青春を供養する気持ちを理解できるようになってきた。実際青春は過ぎ去ってのち、ただ手のひらの中最後のひとかけらが燃えていくときが一番美しい。あれは記憶の花火なのだ。燃えながら、僕たちはそこにもう二度と立ち寄ることができないことを弥が上にも知ることになる。夏の花火が暗闇の中で僕たちの網膜に淡く記憶されるように。ライ麦畑のキャッチャーはかつて自分だった記憶を薪に焼べるものの名である。彼はひとつひとつの記憶を懐かしみながら丹念に燃やし尽くしていく。そうしながら、この輝きが永遠に灯り続けて欲しいと夢を見ている。それが明らかな矛盾だとしても。
ukari