僕は小学生の頃、お笑い芸人になりたかった。当時全盛だった明石家さんまさんに憧れて。タケちゃんマンの悪役にサラリーマンライダーというキャラがいて、そいつはスーツ姿でスクーターに乗って登場する。「私の名はサラリーマン!ライダーだ!」と自己紹介をしたのち、名刺もきちっと渡すというおよそ悪役らしくない敵キャラだった。だが一部では大ウケ、スタッフからの評判もよく、僕のようなマニアなファンにも好評だった。だが一般的な子供たちには不評でたしかワンクール持たずに終わってしまったと思う。だがひょうきん族が終わり、松本人志、浜田雅功のダウンタウンが全盛を誇る頃には、僕はなぜか、お笑い芸人になるその素晴らしい夢を見失ってしまった。多分他の事に興味を持ち始めたからだろう。
中学生の頃にはゲームデザイナーになりたかった。小島秀夫の「スナッチャー」というアドベンチャーゲーム、もちろん王道のドラクエなどにも感化されて、僕はゲームのシステムを作り、脚本を書いてみたいという夢を持ち始めた。それから先の十年間ほどは、およそほぼすべての行動の動機がゲームデザイナーになるためのものだったと言っても言い過ぎではない。しかし僕はある日、小島秀夫が新作メタルギアを発表した頃、ついに作品についていけず、心も追いついていない自分を感じた。ぽっきり折れてしまったのだ。心が。結果ゲームデザイナーになる目標は遠のいた。
僕に最後の砦として残されていたのは脚本家になるというモノだった。これはもう夢ではなく、目標。自分のセンスを磨いて、世界の最先端の映画を観まくり書く、ということの繰り返し。この時も決して長くはない時間ではあったが、脚本家になるためだけの情報収集をしていたと思う。だがこの目標もある映画の登場で頓挫する。英国映画、ブリットポップ映画の金字塔とも言われる「トレインスポッティング」が現れたのだ。この映画ヤク中の青年が仲間と袂を分かち、ヘロイン中毒から抜け出すというだけの映画だったのだが、それまで僕が追いかけていた、磨いていたセンスのほぼすべてが凝縮されていた。結果、またしても僕の心は折れてしまった。その頃には13,4年クリエイターになる夢ばかり追いかけていたので、とても疲れていたのだと思う。僕には休養が必要だった。
それから僕は長い低迷期に入る。何も作らず、文化的に摂取、吸収もしない時期。でもこれは必要だったのだと思う。何と言っても一つの志向性においてのみ情報の取捨選択をするという、ある意味酷なことばかり自分に強いていたのだから。自由で開放感のある時期ではあったかもしれない。辛くとも。苦しくとも。夢や目標を持つことは素晴らしい。だが一つの志向性にばかり囚われて、選択肢が限られる人生というのも何とも窮屈でつまらないものだと言える。それは偶然と驚きに満ちた日々、日常を破棄することでもあるのだから。僕は三つの目標を失って以来、なるべく気楽に、なるべく肩の力を抜いて執筆や詩の創作をしたりしている。この「なにもないところ」への寄稿もその一環だ。とても充実している。半ばフラリフラリとしているかもしれないが、これはこれで日々の偶発性にも身を委ねることが出来ているのだから、幸せだと言えるだろう。ただ、そんな僕でもスペースやキャスにおいて、無邪気にお笑い芸人になりたかった頃の名残か、冗談やギャグがバシりと決まった時、ウケた時は最高の充実感、喜びを覚える。そういう意味でも多くの財産を与え、感度を育ててくれるという点において、夢や目標を持つのも悪くないかもしれない。しかし一つの物事に固執するのは相当なビハインドであるのは間違いない。じゃないとあの時みんなと一緒に笑っていたサラリーマンライダーよりも定型的、形式的な人間になっちまうぜ。そんなことを僕は休日の朝に書き連ねてみたくなったのだ。今日は夕ステというトーク番組の収録。終わったらぼんやり散歩にでも出掛けようか。観たこともない花でも見つけるために。
keisei