焼きおにぎりが食べたい

「なにもないところ」というサイトでの文章の執筆依頼があって、実際に2つほど文章を書いてみたのだけれど、読んでよかったと思っていただけるような文章は書けなかった。誰かの役に立つようなことは思いつかないし、これからもなんだか書けそうにない。こんな風にあらためて自分の気持ちを文字起こしすると、誘ってくれた方に申し訳ないと思うのと同時に、才の欠けた自分が情けなくなる。まあ人生なんてそんなものだ。最近はそんな感じになっている。なにかを見つけようと懸命に探し回ったあげく、何も見つけなくても大丈夫ということがわかったような気分。そんなことより味噌をつけた焼きおにぎりが食べたい。ちょっとおこげがついた、ほかほかの焼きおにぎりだ。

今まで、一般的なブログの文章を書く上で、人の役に立つようなものを書こうと思っていた。「いいね」や「コメント」がつかないと、あまり良くない文章だったのかな、とクヨクヨしてしまっていた。そうしてそのうち書かなくなった。現にわたしのブログはいくつか記事を書いたものの、最新のものは半年以上前だ。もちろん、たくさん「いいね」がついて書き続けている人はいるし、そういうのがなくても平気なひともいるだろう。ブログが悪いのではない。わたしの場合、書くことが楽しくなくなってしまうのだ。まあそんなことより今は焼きおにぎりが食べたい。この晴れた青空と味噌のこげた匂いはぜったいに合う。焼きおにぎりをこの秋と乾杯するんだ。

なにもないところはブログだけがある。ひどくシンプルなサイトだ。この白さは見覚えがあって、最近それは保健室だと気がついた。高校生のとき、わたしは自分がみんなに迷惑をかけているんじゃないかと思い込んで、教室にいられなくなった時期があった。偏差値的に無理して入学した進学校だったから、まわりのひとはみんな勉強ができているように見えた。自分よりみんな可愛く思えたし、わたしはなんてダメな人間なんだろうと感じていた。具合が悪くなって逃げ込んだ保健室のベッドから見つめていた、やたら穴がたくさん開いた白い天井は、誰かと比べることで劣等感に押しつぶされそうになっていたわたしが、唯一ほっとできる場所だった。

完璧主義だったと思う。完全なる文章、完全なる人生、完全なる人間。かくあるべき強い理想があって、それに向けて全力で努力すべきだと思っていた。とくに文章や音楽に対してはこだわりが強く、どこかで見たことのあるような平凡な作品だと嫌悪感を感じたし、作品への厳しさが感じられないとイライラさえしていた。それと同様に、もしかしたらそれ以上に、自分の書いた文章への憎悪も激しかった。ずっと自分に振り向いてもらえなかった。書いても書いても、「こんなのダメでしょ!」といつも自分に怒られていた。どうしてダメなのか? それは、自分よりもっと素敵な文章を書く人間がこの世にいるからである。もちろん、このとき焼きおにぎりのことは考えていない。焼きおにぎりの「や」の字もなかったと思う。どうしてあんな美味しい食べ物のことを忘れて、文章についてなんて真面目に考えていたんだろう?

このサイトで何を書こうかなあと考えていたときに、もう誰にも読まれなくてもいいや、とふと思った。誰かの文章と並べて表示されているのに、不思議とひとりきりな気分になる。記事のひとつひとつの間に、保健室のベッドの間に引かれた、白いカーテンがあるようだ。そのとき、誰かと比べながら完璧を目指して書いていても楽しくないなと、とうとう思えたのだ。そんなこと前から知ってはいたけれど、実感することがどうしてもできなかったのだ。これからは自分のために文章を書きたい。もう誰かの役に立たなくていいし、誰かのいいねもなくても大丈夫な気がする。そうしてわたしは、わたしにラブレターを書き続けよう。鬼みたいな厳しい自分に、やさしい手紙を。そうして、自分がいちばん読みたい文章を書いていこう。とりあえずその前に、ほくほくの焼きおにぎりが食べたい。この晴れた気持ちの良い天気のなかで食べる、ちょっと焦げた焼き味噌おにぎり。最近はそんな感じだ。

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