思い返せば椅子に座って仕事をしたことがない。工事現場で資材を運んだり、居酒屋の店内で最も過酷とされていた「焼き鳥」で延々と鳥を焼いたり(夏は暑くて最悪だった)、ベルトコンベアから流れてくる車の部品を検品したり、印刷工場で紙をギロチンみたいな機械でまとめて切ったりしていた。座らずとも寝転がることはよくあったけれど、それは機械の隙間に入り込んでグリスまみれになりながら故障を直している時だけだった。椅子に座って仕事をするのはいつも自分とは別の特別な人たちだった。そういう人たちと同じ職場で仕事をする機会はあったけれど、昼飯になると椅子に座って仕事をする人たちは椅子に座って仕事をする人たちと飯を食っていた。話しかけようとしてとても嫌な顔をされてしまったことを今でも覚えている。でもそれは多分被害妄想で、向こうは向こうでどう対応すればいいのか分からなかったのだと思う。
前の職場で通勤に使っていた原付が駐車場でパンクするようになり、それが3回続いて職場を辞めた時、きっと椅子に座って仕事をする人たちの仲間だったら釘の刺さったタイヤを引きずりながら3時間かけて家まで歩く必要なんてないんだ、と思った。椅子に座って仕事をする人たちは性格が良さそうに見えた。育ちがいいのだ。あと以外にもほっそりとした人が多かったように思う。女性は特に脚が細くて綺麗な人が多かった。一方立ったまま工業製品の組み立てをしていたフィリピン人の女性は怒るとすぐに「ぶっ殺すぞ」と言った。脚に乳酸が溜まっていたせいだと思う。
しばらくはハローワークに通った。けれどタイミング悪くコロナがやってきた。ハローワークは乗車率300%の電車のように混み始めた。ハローワークの外側まで長い列を作っていると名前を呼ぶ大声が聞こえてきた、半分くらいは外国の名前だった。多分、彼らも椅子に座っていなかったから仕事がなくなったのだと思う。2時間待ってやっと窓口にたどり着いてもハローワークの人はハンコを押した紙を渡してくれるだけで特になにも言ってくれなかった。失業保険を貰いにきただけだと思われていたのだと思う。「椅子に座って仕事がしたいです」と言っても求人票の束を渡されるだけだった。それくらい当時のハローワークは切羽詰まっていた。
そういう時代だった。といつか回想される日が来るのだろうか。あの時世界に対して感じていたことがそんな回想なんかに仕舞われてしまうと思うと力一杯爪で手の甲を掻きむしりたくなる。でも残念ながら、僕という人間の中でさえそれは過去の一場面になり、懐かしい手紙のように中身は知っているけどもう一度読もうとは思わない、そういう代物になっていく。
僕は今椅子に座って仕事をしている。ウーバーイーツの配達員なので椅子というよりもシートといったほうが近いけれど、曲がりなりにも椅子に座って仕事をしている。椅子に座って仕事をするようになって気づいたのは、想像していたよりもずっと給料が少ないことだ。重いものを持ち上げたり、機械の隙間に入り込んで故障を直すのはそれなりに危険が伴うもので、そういった危険と隣り合わせで無いことを考えれば給料の安さは仕方ないことなのかもしれない。とはいえ原付で車道を走るのもそれなりに危険ではある。ウーバーのバッグを持っていることがバレるとかなりの確率でクラクションを鳴らされたり、追い越しの際に幅寄せされたりするのでウーバーのマークは隠すようにした。そうすると不思議と椅子に座って仕事をしている仲間として認めてくれる。僕は椅子に座れたけど、同じ工場で働いていた「ぶっ殺すぞ」が口癖のフィリピン人の女性が今椅子に座れているといいなと思う。
ukari