一生懸命サンマを食べる

小さい頃褒められた経験が人生に与える影響は想像よりも大きいって本で読んだ。きっと子供にとって大人の褒め言葉はドラッグなんだって思う。初めて弾けた譜面、喜ぶ親の顔、背の高い椅子、ぶらぶらしている足、黒いピアノと白と黒の鍵盤、脳の奥底からよろこびの雫が落ちる。その時一番の致命傷を負ったのは誰だろう。多かれ少なかれみんな傷と共に踊っている。

子供の頃、何をしても上手くやれなくて怒られてばかりだった。そういう人もきっと多いと思う。近所で畑をやっている母の友人に招かれて、何か野菜を収穫しに行ったんだっけ。その畑の土は前日まで降り注いだ雨のせいで沼のように柔らかくなっていた。長靴が奥までずっぽりと沈んでいって、抜けない。抜けない、ってなんて素晴らしいことなんだろう。長靴から足だけ引き抜いて続いて長靴を両手で引っ張り出した。遠くで大人たちのおしゃべりの声が聞こえる。僕は今から世界中の畑を穴だらけにするマシンだ。

帰りの車で絶叫しながら母は泣いていた。下り坂をものすごいスピードで飛ばしながら全然ブレーキを踏もうとしなかった。このまま何かにぶつかって死ぬんだと叫んだ。そんなことしたら車がペシャンコになっちゃうと思った。勢いよく開けたドアをレンガの壁で擦って何度も車を傷ものにして怒られてきたからすぐにわかった。ダメだよそんなことしちゃ。車はいつの間にか止まっていて、ハザードランプの音がパカパカと鳴ったままいつまでも動かなかった。

ミスター味っ子だったか中華一番だったか覚えてないけど、料理で対決するテレビアニメの魚料理の回が印象に残っている。両者同じくらい美味しい魚料理を作ったけど、主人公の対戦相手だったライバルが残された皿を見てなにも言わず去っていった。敗北を察したのだ。主人公の皿は何も残されておらず、ライバルの皿には骨が残っていた。僕は納得できなかった。骨の残されない魚料理なんてマチュピチュの無いインカ帝国みたいなものだった。

あんたサンマを食べるの上手いね。母はよくそう言っていた。僕の頭にも雫はこぼれただろうか。かろうじて思い出せる記憶。魚を食べるのが好きだった。味が好きだったわけでは無いと思う。骨をうまく取り除いて身だけを箸で器用に取り出して食べれる部分と食べられない部分をうまく選り分けて最後に骨だけが恐竜の博物館のように綺麗に残っているのが楽しかった。その中でもサンマは特にやりごたえがあった。開きじゃなくて一尾丸ごとだったのが良かったのかもしれない。

サンマを食べるときは先ずたくさんの大根おろしを用意した。おろしポン酢の派閥だ。まず上を向いている面の皮に箸で薄く切れ目を入れる。頭から尻尾にかけて途絶えることなく。皮を開いて顔に近い方の背中の部分を何もかけずにいただく。このとき骨のことはほとんど考えなくていい。あぶらがのっていて最高にうまい。ハザードランプが鳴り止むまでどうしていたんだっけか。思い出せない。そのあとは尻尾に近い部分を食べるのだけど、ここは少しだけパサっとしているからおろしポン酢でいただく。でも決して妥協しているわけでも誤魔化しているわけでもない。この淡白さがおろしポン酢の若干の水分を受け入れるためには必要なのだ。昔から虹の何が面白いのか分からなかった。その日も確か雨も降っていないのに遠くの空にうっすらと虹が見えていて。


ここから骨が重要な意味を持ち始める。まず尻尾の付け根で背骨をパキッと割って、顔に向かってゆっくりと持ち上げていく。背中の部分の骨は綺麗にとれるのだけどお腹の部分はどうしても残ってしまう。背骨から取り残された骨を箸で一つずつ拾っていく。拾った骨は取り出した背骨の横に丹念に並べていった。形があるものの価値はわかりやすく、形があるものはいつも易しかった。手で触れることができないものは理解することが難しい。虹はちょうど真ん中くらいだった。こんな風に一つ一つの骨をゆっくりと取ることで頭に近い方の背中の部位、先ほど一番に口にした部位の背骨を挟んだ反対側がじっくりと熟成されているような気がした。サンマのトロみたいなものだ。こいつをいただく。先ほどにも増してあぶらがのっていて最高にうまい。サンマを食べている時のクライマックスは多分この瞬間だと思う。でもクライマックスとエンディングを一緒にしてはいけない。


クライマックスは自分の息子を取り戻すために悪い怪物とワイヤーアクションを駆使して派手な立ち回りを披露する場面だ。エンディングというのは取り戻したはずの息子の顔を覗き込んだら彼の顔がどうしようもなく悪い怪物に見えてしまったりするシーン。そして忘れてはいけないのがはらわただ。サンマのはらわたはえぐ味があって嫌いな人も多いけど、おろしポン酢でマイルドにしてそのまま丸ごと頂くとそれはそれでうまいのだ。えぐ味もまた旨味だということを知る大人の階段である。これはサンマという物語のエンディングで、あとは余韻がたっぷり詰まったエンドロールが流れる。お忘れかもしれないが、まだ尻尾側の骨の裏が残っている。口の中にはらわたのえぐ味が広がっているうちに尻尾側の身を食べよう。それはさっき食べた尻尾側の私立探偵のような淡白さとは違って、むしろ彼の表情や仕草が少しだけ意味を持って響く。物語のえぐ味が僕たちをほんのちょっとだけ結びつけたのだ。エンドロールが終わり残されているのは骨と頭蓋だけで、最後に目玉もちゃんと食べていた。魚の目玉を食べると頭が良くなるって言われていたっけ。あの時架かっていた虹と永遠に鳴り続けるハザードランプの関係を子供ながらに真剣に考えていた。分からないことは結びつくのだ。僕は真剣になりすぎると変な顔になる子供だったから変な顔をしていたかもしれない。


ukari