明けない夜、それは短い

私にとって昼間は明るすぎる。以前外で仕事をしていた時は、微塵も思わなかったことだ。太陽は自然の恵みである、と信じて疑わなかったあの日の私に戻りたいという気持ちもある。でも、心の片隅では、これが本来の私だったのではないか、という気持ちも育っている。太陽の光では育たない何かも、確かに存在している。

昼間の明るさは、人目を避けて隠れるようにして生きている人間には厄介だ。太陽の光は全てを透き通して、何もかもを道行く人々に露わにしようとする。メイクをしているか、していないか、上手いか、下手か、肌が綺麗か、汚いか、はたまた服のほこり、皺、靴の汚れ、歩き方、姿勢、目の泳ぎ方、そして頭の中にある知識、知恵、心の中に現れては消えていく考え、巣食っている感情、その他諸々。見透かされている。太陽にも、行きかう人々にも、そしてそれから目を背けていた自分自身にも。

足ががたがたと震え、手から力が抜けて、持っていた財布をレジの前でぶちまける。震えが止まらないのは、冬の寒さのせいだけではない。もっと奥深く、体の芯よりもっと奥、心の底、人間という器の一番真ん中から来る、避けられない冷えのせいだ。

足早に駆け込む自室の、遮光カーテンをひく。それでもまだ、安心はできない。人の視線は、街中だけにあるわけではない。厄介な時代になった。私たちはいつでもインターネットで世界中に繋がっている。街中の人よりももっと怖い視線に囲まれている。こんなつもりではなかったのだ。もっと未来は明るかったはずなのだ。なのに今、視線から逃れるのにも必死な私たちは、幸せになどなれやしない。来る明日は、私のための明日ではなく、どこかの誰かのための明日だ。明日、誰かの誕生日が来る。明日、誰かの結婚式がある。そして明日、誰かの転換点がやってくる。全部、この世界に生きるどこかの誰かのものであり、私のためのものではない。誰かのために用意された明日を、私はただ呼吸をして過ぎ去るのを待ち、視線に怯えながら太陽が沈んで影が私を隠すのを待つ。ただそれだけの毎日が、きっかり二十四時間を数えてやってくる。

昼間は長く、夜は短い。明けない夜はないと、誰かが希望を説いた。馬鹿馬鹿しい話だ。長すぎる絶望を携えて、また太陽が昇る。

mazireal