何でもない日々で思い出して

アイドルの曲を聴くと、無謀にも「自分もキラキラしてみたい」と思ってしまうものである。おかしな話だ。ゴミ溜めのような部屋に住んでいる酒に溺れるニートが、「キラキラしたい」など無茶な話である。

宝石がキラキラ輝くのは、太陽の光を反射するからだ。アイドルにとっての「太陽」とは何なのだろうか。ファン? 切磋琢磨する仲間? 見える景色? それとも地位や名誉? 案外さっぱりしていて、お金が「太陽」だったりするのだろうか。別に何だって構やしないのだ、ただ「輝いている」という事実があればそれで十分だ。とにかくアイドルは、自分にとっての「太陽」があって、それを反射させてキラキラ輝いているのである。

自分にとっての「太陽」とは何だろうか。持っているものなどほとんどなく、文字通り影を探して暮らしているような私にとっての「太陽」。反射するほどの強い光を放つそれは、一体どこにあるのだろうか。それを見つけたら、私もくすんだ輝きくらいは放つことができるだろうか。そもそも、私は何かを反射できるほど磨かれていないのだ。ただ輝きを吸収して、自分の中の闇に葬り去ることしか、できないのではなかろうか。

「キラキラしたい」という願望をもう少し詳細に言うならば、「誰かの記憶の中に留まる存在になりたい」ということになるのかもしれない。ショーケースの中の宝石が人の心を掴み、いつかはあの輝きを自分の物にしたいと思わせるのと同じように。誰かの人生に影響を及ぼすとまではいかなくても、誰かの記憶の中に留まって、ふとした瞬間に思い出される存在でありたいのだ。虹を見たとき、何かに成功したとき、夜一人で膝を抱えているとき、そんなふとした瞬間に私を思い出す人はいるだろうか。いないのだ、今の時点では。でも、そんなときに思い出しては、「あの人は今何をしているんだろうか」とぼんやりと思ってくれる人がたった一人でもいたらいいのにと考えてしまうのである。緊張した面持ちで車を運転する私が、もう既に解散したはずのアイドルの歌を口ずさんでしまう時のように。そうやって記憶の中に私を留めてくれる人が一人でもいるならば、私はその瞬間、ようやく「生きる」ということができるようになるのではないかと思う。

mazireal