『うそが本当に』 ゆらゆら帝国


年末、わたしは職場の給湯室当番だった。給湯室当番とは、ポットやコーヒーメーカーを洗って給湯室をきれいに掃除する仕事だ。わたしはこの当番が好きじゃない。コーヒーメーカーの電源をちゃんと切ったのかすごく不安になるのだ。一度、会社を出て駅のホームに立っているとき、急に気になって職場に引き返したこともある。そういうとき、必ず電源は落ちている。今まで一度だって電源を切り忘れていたことはない。けれど万が一忘れていたら。それが原因で会社が火事になったら。そういう恐怖心がコロナ禍になってからどんどん強くなっている。
けれど最近、わたしが怖いのは会社が燃えてしまうことじゃなくて、会社の人から「あの子がミスしたのよ」と言われることが怖いのだと気がついた。仕事ができないと思われたくない。他人の視線が怖い。わたしはずっと、無理して仕事ができるふりをしていた。



明日雨がやんだら どこかに出かけようか
雲が切れたらすぐに そこまで駆けて行こうか

バラの花捧げるような はずかしいこともできるし
好きな人裏切るような 残酷なこともできるし

いつの日か うそが本当に
なるように なりますように

『うそが本当に』ゆらゆら帝国


この曲はゆらゆら帝国の曲だ。彼らの曲のなかでも特別に気に入っている一曲だ。なかでも「好きな人裏切るような 残酷なこともできるし」という歌詞にドキッとする。おおくのミュージシャンは愛するひとを大切にする内容を歌うことが多いけど、こんなにも堂々と「傷つける自分」をさらけ出してしまう潔さに、ビクビク怯えながら仕事ができる自分を装っているわたしにはちょっとした衝撃だった。
仕事ができない自分、好きな人を傷つける自分は、わたしのこころの奥の奥の、そのまた奥の暗くて誰にも見られないような鍵のかかった小部屋にずっとしまい込んでいたからだった。

彼の砂漠の中に そっと山を作る
そこにひとさし指で 小さな川をひくの
一粒の涙が海にとどくかも とどかないかも

『うそが本当に』ゆらゆら帝国


この曲の冒頭は、心象風景のような歌詞から始まる。からからに乾いた彼のこころの砂漠のなかに、神様のような存在の誰かが山と川を意図的につくる。けれど、彼のこころのなかに山と川という自然の豊かさを作っておきながらも、彼の流す涙を無理してどこかに届けることは決してしない。「とどくかも とどかないかも」という、結末を運命に身を預けるような言い方をしている。山や川を作れるぐらいだったら涙を海に流すことも可能なのではないか? と思うが、駅のホームに立っているわたしの不安は、誰かに届いているだろうか? あと何分かで快速急行が駅のホームに到着しようとするタイミングで、会社に戻るべきかこのまま帰宅するか戸惑っているうちに、手のひらが冷たくなり、首の後ろがやけに熱くなって、全身の血液が足元に落ちていくのを感じるその強烈な不安は、誰かに届くものだろうか?

むしろ、その涙は例のこころの奥の、鍵のかかった小部屋のなかにある、そのまた小さな洗面器のなかにぽたぽたと溜まり続けているだけなのではないだろうか。人が思う不安や悲しみのような、いわゆる世間的に「良くない」とされる感情は、表に出してはいけないような気がするからだ。そういう感情を表に出すと、相手が不快に思うかもしれないと考えるし、何より、わたし自身が不安を感じる自分をあまり認めたくないからだ。

そんなわたしに、ゆらゆら帝国はギターを弾きながらやって来る。踊りながらその小部屋を軽快にコンコンとノックし、
「バラの花捧げるような はずかしいこともできるし  好きな人裏切るような 残酷なこともできるし」なんていうことを歌うのだ。
それはつまり、ずっといないことにされていた「仕事ができないわたし」や「不安を感じるわたし」が初めてその小部屋を出ることを許された瞬間だった。仕事ができるふりをしていたわたしは、仕事ができないわたしに出会った瞬間、初めて自分が自分を許せたような気がしたし、受け入れることができたような気持ちになった。

わたしは、わたしの砂漠の中にそっと山を作り、そこにひとさし指で小さな川をひく。そうして、不安から生まれた涙たちをそこに流して、できるだけ長く細く、蛇行しながらどこかにあるはずの海へ向かって指を引き続ける。わたしはもう、小部屋の洗面器に涙をためておくことはやめることにした。そうして冬晴れのとても気持ちが良いときに、わたしは遠くからその指の軌跡を眺める。それらはよく見ると文字のように見えて、そう思うとそれらは文字となり、文章となって、ひとつの話が書かれる。ここは、そうやって生まれた。
わたしは目を閉じて、いつかとどく海を想像する。そこはきっと、祖父が舟に乗って釣りをしていたり、飼っていた金魚が追いかけっこしながら飛び跳ねていたりする場所なんだろうな、と思った。どうしてそう思ったかは、また今度書くとして。

zbm