何某より彼某へ

いつもなに書いたらいいかわからない何某ですが、武田地球さんの記事にというか夕ステにあてられて何か書いてみようと何かを書いてみました。そしたら手紙ができました。

<!ーー

もうよくわからないから名詞から始めよう。削ぎ落としてしまえ。今でも心に染み付いて離れないアノ出来事を書き留めてみよう。この文字列が彼某をげんなりさせるかなどという絶望感を行為で塗りつぶしてしまおう。もう一度、書いてみよう。もう一度。草を生やそう。

月明かり

乳児の顔

これだけだと「は?」となりそう。

もう少し説明してみよう。

月明かりのほの暗さ

覚醒した乳児の顔

これでどうだ。

夢から覚めた乳児の顔がいいか。

どうしてその顔を僕が今でも思い出すのかを書きたいと思う。

書かれたものが誰かの記憶を呼び起こしたらいいという欲を持つ。

覚醒した乳児の

全ての笑いを含んだ

どこも見ていない顔

全ての笑いとは?

冷笑のような嘲笑のような温かい微笑みというようなもしくは笑っていないかもしれない表情。

なんかしっくりこないというか面白くない。別の表現があるんだろうか。能面。

どこも見ていない顔?

足りていないと感じる。文字列が機能していないと感じる。

僕が読み取った表情の描写には僕の解釈が現れざるをえないがさらに僕はその表情がなぜ記憶に残ったのかを表現したいという欲を持つ。

月明かりのほの暗さ

夢から覚めた乳飲み子

誰にも向けられていない微笑みは

冷ややかさと無関心。

蛍光灯に照らされる大人の面影。

気取った格好の悪い無思慮に選ばれた文字列を切り捨てたいと思う。

冷ややかさと無関心。

この文字列は、いただけない。と、僕は顔を真っ赤にする。

けれども

文字列を拾い集めながら、意図しないことが起きた。

夢から覚める前の乳飲児の世界を想像する遊びが生まれた。

月明かりの暗さが必要なのかなと問うて、もしそれがなかったらと想像して最後の句を継いだ。

この余白が予期されていなかったからだろうか、ちょっぴり僕は、うれしくなって、僕は顔を真っ赤にする。

ーー>

これが私が初めて文字列で遊んだ経験。生やした草から動物が出てきたような驚き。なんと言ったらいいかわからないのですが。苦行、恐怖、もしくはただの記録として文字列をもてあそんだ経験とは別物でした。

皆さんはどうでしょうか。「何か」を書いていて、うれしくなる瞬間、というよりよろこばしい瞬間、書いている時に旨みを感じた経験はありますか。

ukari語録

“良い文章とはまだ誰も分け入っていない新雪をスキーで滑るような文章だ。余計な言葉で足場を固めたり、予想される反応への予防線なんてなく、ただその中心に向かって、それが初めてであるかのようなシュプールを描くことだ。”

https://note.com/yuukari_ashiya/n/ndbbb436a4abf

この引用句が読み手の文字列を読む旨味を表しているとしたら、他方で、書き手は「良い文字列」を書いている時、どんな感情、旨味に出会うのでしょうか。

作り手は何かの旨味を期待して作り始めるのでしょうか。どんな旨味なのでしょうか。

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