3人的な、余りに3人的な


ゆらゆら帝国のベーシスト、亀川千代さんが亡くなった。世界の三分の一が消えてしまったように悲しい。僕はなんとなく、ゆら帝がスリーピースバンドだから、曲の中でも「3人」って歌詞がよく出てくるのだと思っていた。今から適当なこと言うけど、ゆら帝はまさに3人的なバンドだった。ボーカルデュオのウェットな情感とは程遠く。4人バンドの安心感、仲間感と言ってもいいかも知れない、仮にバンドのなかでボーカルの女とギターの男が付き合ったとしても、4人だったらまだベースとドラムでちちくりあえる。その安寧。ゆら帝はその安寧ともまた無縁だった。


そう言う意味でゆら帝は3人的なバンドだった。3人であることとはつまり、虫歯になった歯を素手でぶち抜いてその辺の野良犬に喰わすみたいなことだ。大丈夫、僕も意味はわかっていない。ゆら帝の3人性を知るためには、ゆら帝の3人的な楽曲を聴く以外方法はない。まずはこの曲を聴いてほしい

デーモンはたいがい犬のふりをして近所の子供たちを見張っているんだ

ゆらゆら帝国「3×3×3」

この歌い出しにまさる歌詞に出会ったことがない。コピーとか詩とか文学に範囲を拡張してもこんなに3人性で研ぎ澄まされた言葉を叩きつけられた記憶がない。3人性。シャンプーだと思ったらリンスだったのにまるで動じないほどの3人性。騙されたと思って、目を閉じ頭の中で在りし日のダチョウ倶楽部の3人を思い浮かべてほしい。そしてそのまま忘れてほしい。仕事終わりに叩いたエンターキーが普段よりも深く心に響いて鳴り止まないこと。そう、それが3人的現象。今はもう覚えていないけれどもこの曲に出てくる「けずるくん」とはあなたのことではなかっただろうか。


そしてこの「夜行性の生き物3匹」

交差点 繁華街 公園 誰かのアパート
夜行性の生き物がおよそ3匹
線路沿い 映画館 公衆電話のゴミ箱
夜行性の生き物がおよそ3匹

ゆらゆら帝国「夜行性の生き物3匹」

3人性の爆発。よその家の猫に勝手にちゅーるをあげるような3人性。返す返す、この3人性は4人組のバンドでは出せないし、ヴォーカルデュオでも無理だ。4人組のバンドをやるようなやつは犬を飼うし、ヴォーカルデュオは猫に嫌われる。
言ってしまえば3人性とは、喉が渇いたとき最悪オリーブオイルまでならそのまま飲んでしまえるということであり、眠れない夜に昔のラインを開いて、7年前に毎夜「話しませんか?」とメッセージをくれた女の子のことをふと思い出すことである。
分厚い遮光カーテンの向こう側がちゃんと夜なのか、それともひょっとしてもう朝日が昇ってしまっているだろうか? ろうそくに灯した火が揺れるくらいの確かさでしか自分という存在を感じることができない、あの夜とも朝ともいえない不確かな時の空隙。急に我に返ったかと思えば波のように押し寄せる不安。このままでいいのか。俺は一体何者なのか。為すべきことがあったはずでないのか。そういう存在の脆弱性の比喩として、この3人のひょっとこは踊っているのである。


最後に「貫通」

背広が3人 1人目はバカ
俺の墓にしょんべんしてる

ゆらゆら帝国「貫通」

ゆらゆら帝国の3人的な曲を3つ並べて見て改めて思うのだが、こういう悪意に溢れたギターの音をしばらく聴いていなかったことに気づく。ワンチャン、聴いてるやつの鼓膜破れねぇかな? って思ってるやつが出すギターの音である。僕はたまに、この国の国歌が未だ「冷たいギフト」になっていないことに戸惑うけれど、日本で流行るpopsやrockの澄み渡るほどの安全性を思うと、それは仕方のないことかも知れない。ゆら帝の3人的な、余りに3人的な音楽は危険だ。ビーチで惜しげもなくさらけ出される、小麦色に染まった君の素肌のように危険だ(陽キャ的表現)。

今、このタイミングで、さっき忘れたはずのダチョウ倶楽部をもう一度思い出してほしい。そして忘れてほしい。この頃夕べに散歩をしていると可愛らしい黄色い花が咲いていることに気づく。宵待草とか月見草とか呼ばれるその花は、名前の通り夕べになると咲きだし一人月を眺めるのに良い連れ合いになるだろう。地面に目を遣るとロゼットを形成しており、ああ、この月を眺めるのに冬を越えたのだな、と感心する。月があり私がいてそこに月見草が咲いていること。これは3人的な行いである。ただ月を眺めるだけでは、そこには流れるはずのモチーフが、行き場もなく淀むだけの息のめぐらしが、乾いた傷を指で覆うような許しが、無い。まぁそういうのは言葉で表現できる類のものでは無いのだが、、

そしてかっこいい男の人はたいてい無口で少し下の方を見ている。



3件のコメント

  1. 「貫通」に関してですが、Zi:LiE-YAというバンドの、『悪名ロック』というアルバムに収録されている
    「Penetration」という曲は、超名曲なので、一聴をお薦めします。歌詞だけ書くと、

    Penetration
    詞:柴山俊之
    曲:大島治彦

    自由に頭を働かせて
    この世のすべての欲望をたぐる
    絹の経度と 炎の緯度が
    絶妙に交差するところで
    俺は止めの景色に出逢う

    このゲームに参加したいなら
    白紙の頁をめくるがいい
    お互い好きな 色つきの文字を
    自由気ままに 組み立てながら
    最後の仕上げに とりかかろう

    オーケストラの月に抱かれて
    Penetration Woo Woo─
    ストリングスの雨にうたれて
    Penetration Woo Woo─
    Penetration Penetration

    オーケストラの月に抱かれて
    Penetration Woo Woo─
    ストリングスの雨にうたれて
    Penetration Woo Woo─
    Penetration Penetration

    知覚の扉 ゆっくり開けて
    二人の時間を メーキャップしよう
    壁に掛かった あなたの♡振り子のように
    ゆらゆらさせて 出かけましょうか
    星への旅路

  2. 黒髪さんこんばんは、歌詞まで教えてくださってありがとうございます。
    該当の曲は見つからなかったんですが、試しに聞いてみたらボーカルの方の声が昔、鮎川誠がやっていたサンハウスってバンドのボーカルの声にそっくりだなって思ったら本人でした。

    https://www.youtube.com/watch?v=LY6jXuBAlDI

    懐かしや

  3. ukrさん、再レスです。より作品に触れてみたい。
    まず、ダチョウ倶楽部のように、滑ることで笑いを取るということを例に出して、
    三人ということへの洞察が行われていますね。三角関係です。束ねると折れない三本の矢。
    僕は変態性行為への欲求は余りないのですが、妄想の中にはそうしたものを抱えています。
    実行したくはないのです。だから、3Pプレイを続けるバンドは、危険なのでしょう。
    どこまでもいける三人組。3があれば何かがまわる。そう、3でアウフヘーベンを行えるのです。
    ukrさんの新しいものや、普通のものの本質への直観が、僕のインスピレーションを刺激しました。
    これからも、ukrさんの、文章による啓発は、非常に貴重なものでありつづけるだろうと思います。
    文章を書くこと、詩を書いたり読んだりすることを、決してやめないでください。
    僕が、ukrさんが、詩から離れて行ってしまうんじゃないかと思って、とても心を痛めていました。
    でも、ukrさんは、詩を専門にすることを選ばれた、以前、そういうお話をしましたよね。
    覚えていらっしゃいますか。私は、あなたに、あなたは、私に、そして、みんなの彼女は、
    それぞれの人に。運動し続ける世の動き。詩というエクスペリエンスを、みんなが望んでいるのです、
    ひかりの魂の底では。

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