暑いということ

なんてったって暑い。家に出る前にコップ一杯の水を飲んで、日傘を差して、水筒まで持って外出しているにも関わらず、顔はおでこからほっぺまで真っ赤になり、首筋から胸元から汗がしたたり、なんだか頭も痛いような気もして、それは暑いというより苦しさに近いような感じだ。これでまだ梅雨が終わっていないというのだから、無事に夏を越せるのか不安を覚える。それは体力的なところもそうだけれど、電気代がどれくらい跳ね上がるかということもあわせて。

仕事柄、ずっと空調の効いた部屋にいるものだから、平日は季節を忘れてしまう。節約のためお弁当を作っているから、お昼休みも外に出ることがなくて、会社を出てからようやく暑さを思い出す。そうだ、今日は猛暑日だったなって。

信号が青になると一斉に人が交差する。向こう側の人間がこちら側に押し寄せ、こちら側の人間もかいくぐって渡ろうとする。そのすれ違う人、ひとりひとりが熱を持っていて、誰もがその体温を持て余している。少しでも熱の逃げ場を探して、わたしたちは冷房の効いた箱へ逃げ込んでいく。またその建物の室外機から外へ向かって熱風が噴き出すものだから、ますますわたしたちはどこか室内へ逃げ込まなければいけなくなってしまう。

この社会が椅子取りゲームみたいな仕組みになっていることはちゃんと分かっているつもりだ。定員が決まった偏差値の高い大学に入学することや、年収が高くて優しい男の人と結婚すること、福利厚生のしっかりした企業へ正社員として就職すること、そうして生まれ来る自分の娘に質の良い教育を受けさせ、私立のエスカレーター式の中学へ入学させるということ。そういうことができる権利は、自分が勝ち取らなければ得られないということも。だけど、いつまでもそうやって自分だけが良い席に座ろうとしていることにときどき疲れてしまって、けれども外はこんなに暑いのだから、わたしはやっぱりどこか冷房の効いた部屋へ入ることに必死にならなければならない。

最寄駅に着いたら太陽が沈みかけていて、昼間の灼熱が少しだけ落ち着いていた。すれちがった女子高生から制汗剤の甘い匂いが漂い、ポルシェのド派手なエンジン音が聞こえてくる。日焼けを知らない白い腕に夕暮れのオレンジ色が重なって、わたしを少しだけ明るくさせた。今日の夕飯は鮭のホイル焼きにしようかな、などと考えていると、細かい路地を抜けて涼しい風が一瞬吹く。左腕に爽やかにその風があたって、それはそれとして、もうちょっと涼しくならないかな、などと思う。

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