虫の便りを聞き、家の片付けをしていたら、手紙やら書類やら写真やら何やら。段ボール箱に隠れて潜んでいた物どもを、片っ端からスキャンしたり写真を撮った。ゴミ袋に入れた。部屋が削ぎ落とされて何か軽くなった気がした。憑き物が洗い流されたような気がした。ありし日の僕に送られた手紙を手に取った。読んだ。ありし日の僕が描いた絵を見つけた。眺めた。
淡い色が濃くなる。
くすんだ色が鮮やかになる。
暗い色が明るくなる。
記憶の色彩が変わって、見えなくなっていた僕が記憶の中にいるのを見つけた。身動きが取れないような重さに気が付かずに暮らしてきたみたいだ。手も足も出ずにジタバタすることをやめて塞ぎ込んでいたみたいだ。くすんで、くすぶって、酸素を取り入れることをやめていたみたいだ。体がウズウズした。そうだ、輪郭は鉛筆でなぞる黒い線じゃない。と思うと、心臓がドキドキした。
色彩を忘れぬように。
手紙の一節にはこうあった。
「ねぇ、笑っていますか。ちゃんと空に浮いてるの?あなたがいると私は笑ってしまうのだニヤニヤ。あなたが地面に落ちていたら私が蹴り上げるからね!」
なんてこった。
あの頃僕は、本なんて持っていなかった。こんなにたくさんの物を抱えていなかったと思い出す。もっともっと削ぎ落とそう。地面から遠ざかるように。沈み込まないように。
バリ島の人は、地面に落ちた花をお供物に使わないんだった。けれども、花のなる木は根っこで地面と繋がっている。日本には、蓮の花が泥の中に咲くという言葉があるらしい。沼の底を蹴って、水面に踊り出て、息を吹き返して、咲う夢をみよう。明日はレンコンを買って食べよう。
色彩を忘れぬように。
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