エグい文字列が生まれいずる悩み

僕はなにもないところにコメントするのを控えていました。どうしてかって、気の利いたコメントができると思わなかったからです。それでも無理にコメントをしたこともありました。僕が僕なりに人間であろうとして。連投を続けながらコメントへのハードル(自分が設置)が下がって、これからは(もしこれからがあるなら)コメントの作法を気にせずに、書きたいように書こうと思っています。

私は2年前に、何かがあってネット上の詩の界隈を見て回っていました。この場所を見つけました。なにもないところに関わる皆さんに感謝します(いつもご馳走になっています。僕は文字列を読むことを食べる比喩で理解しています)。

文字列が持つリズムや呪術的な効果を音楽に喩えてもいい。空間性場所性遠近感を絵画に喩えてもいい。匂い、歯応え、触り心地、旨み、喉越し、もしくは強烈な印象。文字列を目にしたときの私の経験、私の中で起こった出来事を何らかの文字列にして「ごちそうさまでした」の代わりに伝えられたらと思う。

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ある日、僕はドライブに連れて行ってもらった。道の駅という場所があって、地酒というものを初めて買って飲んだ。ビールだ。地酒なのに麦は輸入していることに気を取られつつ、地ビールは市販のビールと何が違うのか聞いてみた。ドライバー曰く、エグ味を無くして誰でも飲めるように、日本人好みにしたのがよく出回っているビールだという。蒸留を繰り返してビール性を失ったもの、麦の生々しさをより多く削ったものが、市場に出回っているということらしい。人もビールも同じらしい。と、僕は毒を吐く。

僕の書いた文字列の中で、余分なものがあっただろうか。不純物を取り除くことで食べやすくすることは、もう少し努力すれば、できたかもしれない。削りすぎたら、生々しさがなくなったかもしれない。いい塩梅がわからず、何度も何度も噛まないと味も素っ気もない文字列だったか、しょっぱすぎて食べれなかったかもしれない。見ただけで忌避してしまう装いだったかも知れない。けれども食物繊維はエネルギーにならないからといって、食物繊維がない野菜を食べたいとは思わないのではないか(そんな野菜を想像できるか)。良薬口に苦しというじゃないか。体にいいものは、苦味があるんだよ。純度を気にするより、まな板の上で跳ねて困らせるグロテスクな魚の方が、魅力的ではないかと自分を言い聞かせる。グルコースだってセルロースだって糖なのだ。文字列を生かして届けられたなら(それは人を時として往々にして困らせるだろうが)、喜ぶ人もいるかも知れない。料理人ではない、文字列の狩人として自分を物語ってみる。もっといい比喩があったかしらん。この奇妙な文字列の姿をした獲物が、誰かの料理の素材になることを想像しよう。目玉だけ、肉の一欠片だけでも、食べてもらえたなら。

書き方がわからない、調理法がわからないからとビクビクしていた。真夜中のラブレターか若き日の黒いノートなら引き出しにしまっておけ(断捨離中なら燃やしてしまえ)。僕の文字列がドス黒い息をぶはぶはと吐いているようで恥ずかしい、面目ないと思ってきた。醜いだろう、カッコ悪い。投稿するなど恥さらしだと思ってきた。けれどもここはなにもないところだと開き直ってみる。魔界でとってきた獲物を文字列にしたって、画面を超えて噛み付くわけでもなし。歪な姿のままぴちぴちはねさせておけばいい(もしくは息を引き取っている)。文字列の躾のなさに悩みを抱えるより、この場所に感謝をして過ごそう。ひとまずそれで、営んでいこう。と腹をすえる。魚の骨を全部とっていたら、食べるところがなくなってしまう(僕は骨を取るのが下手なんだ)。得体の知れない何かを得体の知れない文字列に変換しようという試みを、許される限り、ここで続けられたらと思う。

まだお腹は、震え続けている。

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