ドリームマシーン

1

 雨戸の角を上に上にとなめくじは這ってゆく。魚釣りの餌にするにはどうしたものかと考えている弟のほっぺたを横から姉が器用な手つきで抓る。一重まぶたと瞳が真剣なところがよく似ているねと云われる姉弟。ふたりとも優秀で大学の付属小学校に通ったから近所には友だちがいない。
 外れかけの半ズボンの肩紐の位置を直してあげながら姉が
 「ほっぺた、柔らかい」と笑んだ。

 庭は家屋を二棟建てられるほど広く、車庫と併用された平屋が一棟、部屋として与えられている。部屋には18インチのカラーテレビが置かれていて朝も夕方も夕飯の後も姉弟はいつもふたりでテレビから離れることはなかった。テレビの前だけではない。食事のために、隣の本棟のリビングへ出て行く以外、寝る時もふたりの布団はぴったりと並べられていた。

 ちんばを引く弟は、ちんばを引くことがどういうことなのかまだ理解出来ていなかった。姉はその頃には既に弟を愛しんでいた。恋人のようになったのは二人が高校生になった頃で、はじまりは弟が姉に距離をとりながら行動するようになってからだった。バスを2回乗り継ぎ通う学校までの間、たとえばバス停で弟は姉と一緒には並ばず、乗り込んだ車内でも同じ席には座らなかった。姉は弟が思春期を迎えていることを知らない。

✳︎

 「ゲラダヒヒが生息するエチオピア中部地帯の高原ではね、雲がとても近くにあって雨が降り出すまでの雷の音、それはね、身体中が敏感に恐怖するんだよ」    

 「木の下で雨宿りをするゲラダヒヒの眼へ顔を向けるとね、母さんに髪を編んでもらっていた時のような安堵があってね」  

 進学することを止めた姉は19歳の5月にエチオピアへ旅に出た。帰国した彼女は、弟と共有する子供部屋で一日中、本を読んだ。時間をやり過ごすのではなくて、何かを探して。 THE CLASHの「獣を野に放て」を流しながら、ジョー・ストラマーの眼のぎらつき方を17歳になった弟は姉に説明をする。それにかまわず、ゲラダヒヒに近づいて撮ったという写真を指差しながら 「ドレッドに編んでもらった後に撮ってもらった」と姉は笑う。  

 帰国後も彼女はその髪を元に戻さないでいる。彼女のマインドの変化をドレッドヘアが象徴していて、ジョー・ストラマーが1983年のUSフェスティバルのステージ上で叫んでいた反白人主義よりも、信仰に目覚めたようなその態度を清貧なものとして弟はみていた。だからなのか、弟はエチオピアであったことを詳しく訊けないでいる。元来、姉には多くのことを尋ねてはならない雰囲気がいつもあった。なぜ塾の帰り道に泣いていたの?捕まえたトカゲを車道で轢かせて殺したのはなぜ?僕と同じ布団でなぜ寝るようになったの?そのようなこと。  

 大学への進学を選択せず、エチオピアへ旅に出るから100万円ほどお金を貰えないかと相談された父は「あなたがそうしたいというのであればいいよ」と簡単な返事をした。相談の食事の場に居た弟は許しが出たことよりも、なぜエチオピアなのだろうかと、気になってしかたがなかった。でも、家族の間で交わされる言葉数は少なく、両親も弟もそれを尋ねない。家族それぞれが、当たり前のように秘密を持っていて、秘密を持つことが当然の権利として姉弟が高校生になる頃には成立していた。いつからか、姉も弟も、「愛」とはそれを相手に尋ねないことだと、そう信じるようになっていた。

2

 帰国から一年と二ヶ月が過ぎた頃に姉は自動車免許取得の計画をした。最短の日数で取得したいので軽井沢にある免許取得の合宿所へニ週間ばかり行きたいのだけれど、それまでにオートマチックギアのスポーツカーを一台買っておいてくれないかと姉は父にお願いをした。

 「スポーツ車ならマニュアルギアがいいね。あなたなら問題なく乗りこなせるでしょう」

という父の勧めに、どういう車を選べばよいか迷っていて、スピードが出せるスポーツカーというイメージだけなのだけれどと、打ち明ける姉に父は、

 「GTRか、RX7がよいと思うけれど、2人乗りではなくて後部座席もあったほうがよいのかな?」

 何を目的にする車なのか、父は父なりに必要性の限度を測り知ろうとする。不法滞在中のエチオピア人を逃亡させる手助けに使う車だと姉は、絶対に明かさないし、スカイラインGTRが人気のスポーツ車であることを知らないままに選ぶ。

 「友人、弟も乗せ、遠出するのを考えると後部座席もあったほうが便利かな」

3

 エチオピアを出国したタデッセ一族の子孫たち。ダニエル•タデッセはアメリカのボストン大学へ進学後、日本へ渡りいくつかの肉体労働に就いた。日雇いの土建業、それから、牛の皮を剥ぎ牛革を製成する仕事。牛皮剥ぎの工程には特殊な溶剤が使われている。日本人が誰もやらない危険な洗浄仕事は、密入国のルート斡旋をする人身売買の組織がそれを請け負う。取り扱われる人材のうちダニエルたちアフリカ系の人種は一割ほどで、九割は東南アジア系。タデッセ一族がプール付きの自宅を草原の国に建てるまでには、アジアの果ての国における現代の奴隷制度が必要とされた。

 牛革製成に使う溶剤がダニエルの手を荒れさせ、やり切れない日々が彼を違法薬物へ向かわせた。違法薬物の摂取まではまだよかった。敬虔なカトリック教徒だったはずの彼は、いつからかロザリオをテレビ台に放置して出かけるようになる。ロザリオを忘れた信仰者にとって倫理観というリミットは実感から離れてゆく。実感無き倫理観は観念の愛にすぎない。観念の愛は違法薬物の接種を後押しする。しかし、神はまだ死んではいなかった。ダニエルが初めての性交へ姉を導き、彼女は彼が忘れようとしていた実存の愛を捧げた。
 六月の梅雨の時期、深夜、友人との食事後、最終電車に間に合わなかった姉は歌舞伎町のカラオケ店でダニエルと出会う。1人カラオケ用の部屋を出てトイレへ向かう彼女を男子トイレへと引き込んだダニエルは狭い囲いのなかで姉のジーンズを降ろす。

4

 股関節脱臼を拗らせてちんば引きになった弟。小学6年の頃から続けられていた、脚が治りますようにと願いを込めた添い寝と脚を摩る姉の行為はエチオピアから帰国後、お互いの性欲を満たす為の儀式に変換された。勃起状態の先端が姉のお腹に触れ、それを片手で握ったり開いたりする姉は、もう片方の脇を弟の唇に当て、自分の愉楽を少しづつ開いてゆく。始まりの頃、5分程度だった儀式が今は少しだけエスカレートしている。それでも弟が外に射精する「までに」止まっていた。
 
 他の男性を知らないとはいえ、弟の性器が熟していないことはわかっていた。それでもダニエルの性器には壊されてしまうような怖さを覚える。窮屈なトイレの囲いやなにもかもの不快さが逆に解放を求めさせ、ダニエルに宿る身体の香りに虚ろになりながらも、向き合わされる強引な指の力に、姉は入れられたいと思った。弟にもまだ触らせていない太腿より先をこの男の唇で舐められたいと思った。魂の震えるキス。
 終わった後、姉は弟への後ろめたさを覚える。

5

ドリームマシーン、ドリームマシーン、

 過昇制限の調整機よりパラレル世界への移転する仕組みが必要とするエモーショナル係数は微量でありリミット解除が難しいという諜報者からの報告に基づき開発された補助器を物語として埋め込められた物体を仮に[弟]としてある愛の密度は時速が180km/hに到達された瞬間に予測通り特異点となる変数が発見されるまでの知の有無を問うy/n
N

 初めて流された血が混じり合い精子の数値を押し上げれば中部アフリカ大陸より少しだけ上にある悪意が高まることは予測され禁忌が任意の設定値による仮想実験の結果を基に侵犯可と判断がなされた場合においてのみ増殖する客観視こそが禁忌を突破する業であり2人の覚醒抵抗とは古の時代から沈黙するエネルギー即ち愛なのだろうかと問うy/n
Y

1件のコメント

  1. 現代のギリシャ悲劇にして、悲劇をさらに昇華させ、幸せへと変化させるような詩だ、と思いました。
    性的行為が、伝播して、秘密を持ち始めた姉弟を、その必然性に従った筋書き通り、導いていく。
    あらゆる必要とされない危険な労働を担ったものに、その対価を与える神。許されてはならないことは
    許されないが、許しうるところは全て許す神の、恩寵の中に、存在する姉弟、ダニエル。
    「人間が何のために生まれれてきたと思うか。まだ愛もしたことなか、恋もしたことなか。
    水俣病がさせた。」(NHK番組)
    われわれは、全ての人間が愛を持ち、愛を巡ってこそ争いが起こる。愛の筋書きを作り、
    こなせるならば、しかるべく愛が与えられるだろう。あらゆる秘密を作って守ってきた人々に対しては、
    神は忍耐強い。ドリームマシーンの機能によって、夢がかなう、即ち、想像の中で結ばれる
    ということが、もしかしたら、実現されるのかもしれないのだ。お互いに厳密なところで、
    ぎりぎりを保った者同士は、永遠の愛に違わない。恐らく、死んだ後もどこかで。
    そして現実における未来はまだ決まっていない。人がどう導かれるべきかを知っている
    モーゼのように、生きる人もいるのだ。現代のモーゼになることも、不可能なことではない。
    全ての人が結ばれる、ということが、不可能ではない。心はつながりを持ち得て、体は、
    それぞれを隔てる。体の隔てを超えるには、見ること、聞くこと、嗅ぐこと、味わうこと、
    触ることである。そのようにして、個と個は、一体化する。みんなのハッピーバースデー!
    みんな、この世に生まれてきたからここに居るんだよ!

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