ゲボみたいに輪郭のない人生について書くとしたら。
2023.8.20
「母が亡くなりました。猫については……」
愚痴でその存在を聞くだけだった佐藤さんの息子さんからの着信に呆然とした。突然の喪失に涙も出ないわたしは、ただ夏の暑さに項垂れて、半分夏へと溶け出している惨めな三十路の女だった。
夏にはたくさん溶け出して、冬にはよく凍る。わたしは二十五を超えたあたりからそういう体質に変化した。母もだいたいそうだったと言うし、だいぶん前に亡くなった祖母も、四十をすぎた頃にはよく夏に溶けていたと母から聞いた。
それにしても、世のおばあさんたちはほんとうによく死ぬね。わたしは独りごちたあと、来た道を引き返して、自分の部屋に帰った。
これからもわたしはたくさんのひとを失うだろうし、そこに占めるおばあさんの割合はとても高いことが予想される。猫のボランティアも世相と同じく高齢化が進んでいるから。
亡くなった佐藤さん家の猫は、歳をとっている子が多くなってきていた。佐藤さんが見送るはずだった猫たち。シニア猫や病気で介助が必要な猫、次々とさまざまな猫の顔が浮かぶ。佐藤さんが個人で猫の避妊去勢をした上で保護をした猫たちは二十匹で、佐藤さんがあと十年余り生きれば、全てを見送れるはずだった。ただ、佐藤さんは昨晩亡くなってしまったらしい、コロリと。
コロリと死ぬこと。それは老人の抱く最も強い夢の一つだろうが、コロリと死んだことを佐藤さん自身はどう感じているだろう。無念だろうか、一抜け! だろうか、わからない。佐藤さんはどう思っているだろう。
今頃、彼女が見送ってきた、たくさんの猫に囲まれてしあわせにやっているのだろうか。わたしが、夏に溶けてしまった下半身を集めている間に、死んでしまった佐藤さん。一昨日、猫の世話であったばかりだ。下半身が溶け出すと、トイレに行けなくて困るから、昨日は佐藤さんの家に手伝いに行けないと連絡をしたばかり。ok、体に気をつけて! と返信が来たのに、それっきり死んでしまうなんて聞いていない。
もし佐藤さんが死んでしまうなら、もっと話したいことがあった。ここにいる猫の配分、他にもいる佐藤さんの手伝いの、誰がどの子を引き取るか、誰にどの子を見てやって欲しいか。
いや、そんなことはどうでもいいな。わたしが佐藤さんと話したかったのは、(すべてが過去形になる)、そうだな、一昨日の帰りにくれたいちごミルクのキャンディ、あれ、わたし食べられないんですよ、ほんとは。ただ、佐藤さんがずいっとわたしに押しやってきたから受け取っただけで。わたしこれをたべるとそわそわするから。おばあちゃんを思い出して。
1997.夏
わたしが子どもの時、あれは5歳のとき。おばちゃんはいつも黒飴といちごミルクのキャンディをテーブルの上の折り紙でできた箱に入れておいていた。わたしは一度、いちごミルクを喉に詰まらせて、母さんにそれを吐かされたことをまだ覚えている。ゲポッという音を立てていちごミルクが喉から出た後、昼におばあちゃんや母と食べたゴーヤチャンプルーや白米もわたしは吐き出した。吐瀉物の海に混じったいちごミルクのキャンディがきらきらぬめらかに光っていた。その光景が奇妙に目に焼き付いている。
母がわたしを寝かせた後、おばあちゃんに懇々と話しているのが、襖越しに聞こえた。
「ああいうのあげないでって言ってるでしょう。メイコに不自然なものはあげたくないの。それに喉に詰まらせてるのに、母さんオロオロするだけだったじゃない」
おばあちゃんの返事は聞こえなかった。ただ、次におばあちゃんの家に行った時、テーブルの上の折り紙でできた箱には、黒飴しか置かれていなかった。わたしもなんだか気恥ずかしくて、この前の嘔吐のことには触れずにそうめんをおばあちゃんと母の3人で食べた後、おばあちゃんとわたしは昼寝をした。
おばあちゃんの家から自宅へ帰る時、おばあちゃんがこっそりわたしの手にいくつかキャンディを握らせてくれた。そこにはいちごミルクのキャンディもあって、わたしはちょっと緊張した。お母さんはどう思うだろう。わたしはそれを黙ってポッケに入れて、おばあちゃんに手を振り、母の車に乗り込んだ。
祖母に最後に会ったのは、祖母が施設に入る前日の食事会だった。わたしは中学生になっていて、久しぶりに会う祖母の痩せ方に驚いた。ただ、祖母はメイコちゃん、かわいくなったねえ、と言ったきり、それ以上言葉を発さなかった。ただ、三人きりの食事会で、ただにこにこしているばかりで、何も話さない祖母。わたしは、そわそわした。何かを話さなくてはと、空回って、母に笑われた。母は今だってそのときのわたしをネタにする。
お母さん、佐藤さんが亡くなったって。お母さんは佐藤さんのこと知らないよね。お母さん、この夏何回溶けた? わたしは五回。こう暑くちゃいやんなるよね。
2020.夏
三年前と少し前、家の近所に小さな三毛猫が暮らしていた。毎日会っていると自然と情が移る。ねえ、今日はとても暑いね、お水飲めてる? だとか、ああ、ご飯くれる人が来たよとか、そうやって毎日話しかけていると、本当に馬鹿になってきて、一人の人間が、この子に何か出来ることがないかを本気で考え始めてしまう。なにせわたしは退屈だったので。
市のホームページを見たり、外猫の暮らしを調べたりするうちに、わたしはこの子が99%メスで、次の春には子を産むことを知った。地区名とボランティアとsnsの検索欄に入れて、確定ボタンを押すと、たくさんの情報が出てくる。そしてわたしはそこで佐藤さんを見つけることになる。
捕獲機を持って現れた佐藤さんは声が若々しくて、見た目も溌剌として、とても六十代後半のひとには思えなかった。それから、三毛猫が捕獲機に入るまで、わたしたちは佐藤さんの車で待機した。
独特の緊張感に包まれた車内で、わたしが無理くり何かを話し出そうとしたとき、車の外から、ガシャンという、自転車がぶつかったような音がした。佐藤さんは、「猫、入ったみたい」と車から出て行き、わたしもその後を追う。
捕獲機の前に行くと、いつもの三毛猫が小さく暴れながら直方体の捕獲機に入っていた。
手汗で溶けかけていた手で、捕獲機に触れようとする。「危ないよ」。佐藤さんが、タオルを持ってこちらに来た。
猫を落ち着かせるために、佐藤さんは捕獲機にタオルをかけた。そして、「これで完了! あとはこっちで病院連れてくから。お代金だけいただくね」、と言って額の汗を拭った。「また、ここにちゃんと戻すから、心配しないでね」。
佐藤さんの言葉に、わたしの左手がゆるやかに溶け出す。また、この暑い中この子はここに戻される。これから寒くなっても外で暮らすこの子の将来を考えるざるを得なかった。
「この子、この子飼っちゃいけませんか」。佐藤さんは少し悩んだ後、「大変だよ、人慣れもしてないから」と答えて車の後部座席に三毛猫の入った捕獲機を乗せている。
「でも、いいです。わたし、この子に何かしたくて。毎日、会ってるから、情が移っちゃってて……」。ふう、と言いながらこっちを見た佐藤さんは、まあとりあえず病院。話はそれから、と言った。
「あと、あなたが良ければ、私の家に来ない?」
それからもう三年、毎日のように一緒に彼女の家の猫の世話をして、だいたい猫の話と日頃のお互いの愚痴やらを話していた。佐藤さんの家の猫二十匹みんなのトイレと、ケージ内の掃除をする手伝いをして、それが終わったら一緒に料理をしたり、持ってきた季節の果物を(リスのように)、分けたりした。
一昨日の夕方はまだ、出回りたての梨を剥いて、ふたりで縁側で食べていたのに。たしかに、今思えば、佐藤さんは近頃少し疲れているように見えた。わたしと掃除をした後、休む時間が長くなったし、佐藤さんの白く細い手の皺が少し増えた気がしていたが、将来のことを考えないように目を伏せて、わたしは足元にいた茶トラの小太郎を撫でてそれを紛らわせた。
小太郎はわたしになついてくれた初めての猫だった。近頃は歳をとって、よく眠るようになった小太郎。わたしはこの子が大好きだった。家の三毛猫は、三年の間でわたしに、まれにだっこをさせてくれるようになったが、やはり気まぐれで、大体の場合わたしに抱かれるのを嫌がる。
小太郎は抱き放題、撫で放題で、ひっくり返ってわたしに腹を見せていた。佐藤さんに何かあったら、わたしが小太郎を引き取ることになるんだろうか。そんな考えを打ち消して、梨をシャクシャク食べて、その朝に見た朝ドラの話ばかりしていた。今思えば、佐藤さんもまた、将来に対して目を伏せていたのだろうか。
たくさんの猫を撫でて、たまに猫たちは亡くなったり、譲渡されたりした。直近では二匹が亡くなり、わたしはおおいに泣いた。亡くなった猫に花々を組んで、またね、と言って佐藤さんと動物霊園のある寺へ連れて行き、見送った。帰りには二人ともドッと疲れて言葉少なだった。死んでしまった、というよりも、見送れた、という感情が胸を占めた。生き物の生き死にはわたしの心を締め付けたり、反対に豊かにする。わたしは次第に精神的に強くなっていき、佐藤さんとも親密になっていった。つらいことも山ほどあったし、知らない人にネコトリだと言われることもあった。でもわたしは何かに憑かれたように懸命に猫に向き合った。
冬に凍り、夏に溶ける体質も、佐藤さんのおかげか、少しだけ改善されつつあった。冬に凍らなくなるには手首足首、首を冷やすなだの、しょうがを飲みものにいれろだの佐藤さんは繰り返し、夏はなす術がないから、と扇子をくれたり、わたしの三十歳の誕生日に、ピンクのハンディファンをくれた。
人に物をあげることが好きな人だったから、わたしは彼女とよくちょっとしたものをプレゼントしあった。佐藤さんは喜んでくれるだろうかと考えるのが楽しかった。この交換は祖母とできなかったからではなく、佐藤さんとするから意味があることだった。ごみを半分こで持ち、ゴミ捨て場まで運ぶことも、たまにわたしの運転でふたりでドライブすることも、すべてぴかんと光った。こんな日々が続きますように、という祈り。ありきたりだろうか? (実際、ひとの思いはみな普遍でありきたりだろうとわたしは思うが。)
いつの間にかわたしの日々は猫たちで塗りつぶされていた。つまらなかった日常に現れた佐藤さんと猫たちは、いつかの、ゲボの中にきらりと光っていた、いちごミルクのキャンディだった。
*
佐藤さん、来ました、メイコです。と声をかけて、棺の小さな窓を開け、彼女の顔を見た。化粧をされていて普段よりずっと綺麗に見えるが、どこか作り物めいて見える。
ああ、あ。と、猫が肛門から捻り出す便のように、自然と声が漏れ、わたしは夏に包まれていた。止まらなかった。ちがう、本当は便みたいに健康なもんじゃない。
ばかやろー! なんで死んでるんだよー! わたし寂しいじゃないですか。佐藤さん、まだまだ一緒に話しましょうよ。猫一緒に撫でましょうよ。
猫の分配を話し合いたそうにしている、他のボランティアの人たちが、小さな水たまりを作っているわたしを驚愕の目で見ている。わたしもその輪に加わらねばならないが、そうはできなかった。夏が来たからだ。
わたしが座っているあたりの水たまりは面積を広げて、そのままついに床が浸水し始めた。佐藤さん、わたしあなたがいないとこうなんですよ。わたしはついにぷかぷかと浮かびながらひとりごちる。ほんと、ゲボみたいな人間なんです。佐藤さんや猫たちがいないと。
そのとき、猫の鳴き声が一つ二つと聞こえてきた。わたしは川をかき分けて鳴き声のした方へ向かう。いちごミルクのキャンディ。ゲボみたいな日常のなかのぴかん! そのとき、わたしは佐藤さんの死自体を一瞬失っていた。いつの間にか小太郎が、わたしの足に体を擦り付けている。ストッキングの質感を足裏に感じながら、わたしは小太郎を抱き上げて皆の輪に入っていった。
ゲボのように、いちごミルクキャンディに生かされている。いつの間にか、わたしがそのキャンディを生かしていたのかもしれないけれど。小太郎が私の手を舐めながら、なーんと鳴く。わたしはそれを抱きしめて、涙声で大丈夫よと囁く。わたしたち、生きているから。
