日めくりカレンダーを、一枚めくったら雀が、こぼれ落ちてきた。雀をめくったら、ほんの少しの未来があらわれて、過去をなくしてしまいそうになった。雀は、きっと時間を追っていて、だれかの青春と、雀の過去が重なったときに、不意に雀のすがたが、この世にあらわれ出てしまうだった。雀は、虚空の先を見つめて、時間を追っているから、とっくにそこにいながら、誰もが滅亡している未来を生きている。だから雀は、時間の終わりの、かたちをしている。
地球は時々、なけなしの雀を支払っているからか、この世から雀が少なくなっているという。風は、どこも雀の粉で、できているに違いないのに、何度でも生まれるはずの雀を見なくなった。冬が、完全になったのかもしれない。季節の、未遂にしか雀は、飛べないのではなかったか。雀が、いなくなったら、人類もなくなると書いた村上昭夫さんは、雀のわずかな暴力のなかに、人の臓器を啄む鳥の祖先を、どうして想像できたのだろうか。
言葉足らずから、雀が産まれる。雀は空気の、直喩なのかもしれない。急に人々の、お喋りのなかに立ちあらわれて、生活の隅に折りたたまれた伝言を、食い散らかす。そうして、すがたをあらわすと次々と、空気からはなれようとして羽ばたく。風に、連れて行かれてしまった自分へ、すがたが追いつこうとしている。雀は、雀の体を永遠に待ちつづけている。雀が空気に還るとき、人の想像力から比喩が喪われる。
だれも大地が、雀の遺骨でできているという事実を、理解していない。雀が、積もるこの地上で、人が立ち上がる。人は、雀でできている。
