bledisang


 flower

祟り花は大陸からやってきた。罹患すると肌が、腕が、指がどんどん葉や茎に変わり、顔は色づきぱっくりと割れ、やがて全身が花になって咲いてしまう、原因不明のおそろしい奇病だった。いや、病であるのかどうかすら定かではない。ただ、生き物から生き物へ伝播するということだけがわかっていて、それがまるで祟りのようだから、祟り花と呼ばれている、ということだった。祟り花がこの小さな島国を席巻し、そのすべてを美しい荒涼に変えてしまうのにさほど時間はかからなかった。街は都心のほうから五彩の花や緑に覆われていった。かつて人であった花は、どれも服の切れ端だったり、にぶく光る装身具だったり、かつてを想起させる雑多なものを引っ掛けて、咲いてすぐのものを判別するのは容易だったが、人であったころの名残はすぐに飛んでいってしまって、風化してしまって、やがて自然の花と判別がつかなくなってしまうのだった。

祟り花は人だけではなく他の生き物たちをも無差別に侵食していった。行き交う鳥たちは翼のほうから茎葉が茂り、街には野には、鳥の花弁が雪のように降りしきる。草食む獣たちはみずからが草花と化し、それを別の獣が口にしては、咀嚼するそばから草花に変じた。川海にはかつて魚や両生類であった花弁が流れただよい、さながら水葬の儀式のようだった。花々はおのが出自を主張するようにもとの面影を残し、それぞれ違う色や形として咲き乱れていた。おなじ人間の花でも、あわい暖色で丸まったもの、刺々しい形の極彩色、幽かに透けてみえる花被片をもつもの、さまざまな相貌の花が入り乱れ、もしかするとそれは、彼らが人であったころよりも見分けるのは簡単かもしれなかった。

祟り花の症状の進行は人によってまちまちで、罹患してすぐに全身が変色し、そこでそのまま花化してしまうものもいれば、少しずつ体が緑に冒され、蝕まれるようにゆっくりと花へ変わり果てていくものもいた。やがて与太話のような噂があちこちで囁かれるようになった。他のものへ祟り花をうつしつづけると、自らの花化が少しずつおさまるというのだ。根のない話は瞬く間に広まって、祟り花をわずらってもまだ動けるものは、必死にそれをうつそうと、中には見ず知らずの他人に抱きついたり、接吻を試みるものまでいたけれども、そもそも祟り花がなぜ、そしてどのように伝播するかはなにひとつ分かっておらず、ただ都市伝説めいた飛語だけが白熱し拡散されていくさまは、まるでそれ自体がひとつの伝染病のようでもあった。

祟り花が島を花園に変えてしまってもなお、花化せずにいられた者たち、の、ほとんどは、ほぼ人と関わることなく日々を過ごしていた。花とならずに済んだ、あるいはなり損ねた彼らは、祟り花の蔓延後、ますます閉塞的に暮らすようになった。花が旺盛に繁茂していくにつれ、しだいに島から生き物の気配は消えていった。あるとき、完全に花と成り果てた者からはもう祟り花はうつらないということがわかって、彼らは安堵し、少しずつ棲家から外へ出歩くようになったが、しかしそのうち、人を避けて生きてきたはずの彼らもだんだんと人恋しさに苛まれるようになって、生き残ったものたちを捜しに遠出しては、次々とその身を花に変えていった。

祟り花をまぬがれて、人里からのがれて、私は山奥に打ち捨てられた廃屋に暮らしていた。廃屋といっても、朽ちかけの農具が押し込められた埃っぽい納屋だった。元の持ち主など知らないがおそらくとうに咲いてしまっているだろう。しばらくは付近の畑から野菜や果物などをかっぱらって飢えを凌いだが、手入れするもののない果菜はあまりにもよわく、すぐにくたびれてしまって、やむを得ずそのあたりに自生している山菜や野草を食べるようになった。かつて人だったかもしれない野花を摘んで食べることもあった。飲み水は近くの渓流から汲み上げたが、たくさんの花弁が泡のようにあがっては流れていく川の様子はとにかく異様で、そこから掬った水を飲むのは毎度気が滅入る。いつまでこんな生活が続くのだろう。身体はどんどん痩せ細り、もはや枯れた果樹と見分けがつかない、これでも人でありつづけていると言えるのだろうか。元より在宅で、誰とも関わらず、引きこもるように暮らしていたけれども、それでもこんな、時間も日付も分からず、朝かも夜かも分からない、まるで獣のような生活のなかで、空腹と人寂しさにじわじわと心身を蝕まれ、これでは花になった方が幾分幸せだったのではないか、あの快適な部屋の中に一輪咲きほこるのが正しかったのではないか、と私はだんだん思いはじめていた。眠っているのか、目覚めているのか、判別がつかなくなって、しだいに幻覚や幻聴のたぐいに悩まされるようになっていった。

祟り花が大陸からやってきてもうどれだけの月日が経ったのか分からない。いつまでもつづく鈍い頭痛に朦朧としながら、喉の渇きを潤すため、ふらふらといつもの渓流へ赴くと、川べりに何かの影がじっと伸びている。見るとそれは細身の女性だった。妙齢に見えるその顔立ちは整っていて、身の丈は私よりひとまわり短く、腰ほどのながい黒髪が風にたなびいていた。放心し惚けていると目が合って、慌てて逃げようとすると、待ってください、と強く呼び止められる。しわがれていたが、どこか余韻のある声だった。人を捜してきたんです。この島で自我をなくさずにいるのはきっともう私たちだけで、祟り花をうつすもの、うつせるものはもはや誰もいない、だから共に山を下りませんか、と彼女は縋るように言った。混濁する意識に、承諾も謝絶もできぬまま、なんとなくそのまま彼女につれられ、久方ぶりに山を下りた私の眼前には、地平までどこまでもつづく、砂漠化してひび割れた大地と、その上にたくさんの色相が咲き乱れている光景が広がっていた。こうして砂漠を花が埋め尽くす現象を、私はむかしどこかで目にしたことがあるような気がした。

祟り花がもたらしたその絶景に目を奪われていると、突然、指の先から猛烈な痒みにおそわれ、見ると指の皮膚を突き破って植物の蔓のようなものが蠢いている。隣の女性に目をやると、紺のブラウスの裾からわずかに蔦のようなものが覗いているのが見えた。そのままひしゃげるように私の身体は崩れ落ち、四肢のほうからわさわさと茂って、少しずつ上へ、頭の方へ蔓が伸びていく。ごめんなさい、終わりたくないんです、と搾り出された声は震えていて、ああ、また騙されたのか、と、瞬間、くらい渦が沸き、動けるうちに彼女の首でも絞めてやろうかとも思ったが、しかしいずれにしても、どうせこのまま花になってしまうのだなと思って、それなら私はいったい何色の、どんな形の花をつけるのだろうと思って、私はただ茂りながら、私から目を逸らす彼女の整った顔を見つめていた。やがて視界が歪み、私の意識はしゅるしゅるとほどけていく。

ここにあなただけが残るとしたら、
もう誰もあなたを祟ることはない、
誰もあなたを祟ることはできない、
だからどうかこの、
成れ果てた花を覚えていてほしい、
砂漠に咲き乱れるたくさんの、
色とりどりの私たちを花束のように抱えて、
あなたはきっといつまでもあなたでありつづけてしまう、
それこそが私があげる祟り、
私たちがあなたにあげる祟りだから、



 flow

裏山には竜が棲んでいる、と父に教えられたとき、まだ私は六歳で、竜というものの存在を知らなかった。祖父が亡くなってからまだそう時が経たぬ頃だ。遥かむかしから一族の土地であった裏山の深くに、大きな竜が棲んでいるのだ、と父は言った。幼い私にはその竜さんというものがいったい何者なのか分からなかったけれど、なにやら凄くて偉大な存在である、ということはなんとなく父の話しぶりから感じ取れたので、その竜さんなる人物にぜひ会ってみたいと思った。何度も何度もせがんだけれど、しかし父は、もう少し大きくなったら自分で捜しに行きなさい、と言って、それから少しも取り合ってくれなくなってしまった。

小学校に上がってさらに数年経ったころ、私はついに決心し、竜さんを探しに裏山に登ることにした。山は祖父が亡くなってから少し荒れてしまってはいたが、畑のある中ほどまでは拓けており、そこまでの山路は父が手入れしていたので登るのにさほど苦労はない。しかし畑として使われている区画から奥はいっさい整備されておらず、まったく手付かずの荒廃林となっていた。当然歩きやすい道などないし、仕方がないから、迷いにくくて比較的登りやすそうな、畑の脇の用水路沿いに山を登っていくことにした。登っていくにつれ、細い水路は何度も分岐し、やがて天然の河川へと合流したが、それでもまだまだ奥へ続いているようだった。生い茂る葛や笹を掻きわけ、へとへとになるまで登って、少しずつ日が赤らんできたころ、不意に視界が広がり、木々がひらけて小さな空き地のようになっている場所に辿り着いた。空を隠すように重なる樹木の帷の、その隙間から僅かに光が差して、落ち葉の小道や苔岩をぼうっと照らし出している。その厳かさに息をのんだ私は、なにかが川の先の方でちかちかと反射しているのに気づいた。近づいてみると、乳白色の鱗に包まれうっすらと苔むした蛇、いや、蜥蜴だろうか、とにかく巨大な鱗の塊が、川沿いの苔岩に身体を横たえ目を閉じている。おそらく眠っている。私は興奮して、あっ、と声を上げてしまって、慌てて口を噤んだ。見たこともないほど大きな蜥蜴だ、起こしてしまったら襲われてひと吞みにされてしまうかもしれない。しかし息を殺してももう遅く、私の存在に気付いた蜥蜴は岩のような首を上げ、ぎょっとその瞼を開いた。膜を裂くように突き出された瞳は青く深く、切れ長の瞳孔がこちらを刺すように睨んでいる。私は完全に固まってしまって、そのまましばらく見つめ合っていると、鱗の塊がすうっと身を起こし、麓の家のせがれか、と言った。聞き間違いではなく、確かにそう言った。突き離すような冷たい声音だったが、不思議と、あたたかい声だなと思ったのを覚えている。

聞けばその生き物こそが件の竜で、先代の先代のそのまたずっとずっと先代の頃から、この山に棲まわせる代わりに、麓の畑を害獣たちから護ってもらっていたのだという。私たちの一族とは長い付き合いで、他にもいくつかの約束事を交わしてきたそうだ。彼か彼女か分からないが、とにかくその竜は、声色こそ淡白であったが穏やかな話し方をするので、私はすぐに恐怖心をなくして、自分の足よりも太い尻尾に腰掛け、ひたすら彼を質問責めにしたのだった。普段何をしているのか、何を食べるのか、何故話せるのか。しかし竜はあまり自らのことを語りたがらなかった。私の問いにただ耳を傾け、小さく揺らめきながら目を閉じていた。その仕草は、話を黙々と聴いているようにも、うつらうつらと船を漕いでいるだけのようにも見えた。だから私はだんだん話すことがなくなってしまって、少し寂しくなってしまって、ほどなく口を閉ざした。なんともいえない静寂が訪れた。

ふいに竜がぐっと身をもたげ、傍らに横たわる、おそらく彼の餌食になったのであろう獣の死骸を咥え、川のほうへと歩いていく。少し迷ってあとを追うと、彼は濡れるのもかまわず川へとおりていって、澄んだ水面のうえに獣をそっと横たえた。肉を削がれ、ほぼ骨と皮だけの亡骸は、ばらばらとゆるくほどけながら、流れに沿ってゆっくり川下へとくだっていった。ごらん、この骨は、皮は、そこに残されたよすがは、流れて畑に降るだろう。お前たちに降るだろう。そうしてここに上がってきたお前たちを、ふたたび流すこの身は老いず朽ちず、ゆえに流されることなく、ただここで流しては降らせる、それが約定なのさ、と、彼は言う、その語りの抑揚は人のそれとは異なり、まるでなにかの歌を吟じているかのようだった。いいかい、もうここに来てはいけないよ、と、そう言ってから、それきり巨大な竜は何も言わなくなってしまった。

その日からも何度も、言いつけを破って私は竜に会いにいったが、あれ以来彼は何も語ってくれず、歌ってくれず、会いに行くたび、言葉をかけるたびに、真珠のようだった鱗の光沢は翳り、青い瞳の海は濁り、力なくうなだれ地に臥せり、ひゅるひゅると風の抜けるような喘ぎを洩らすようになっていく。日に日に衰弱していく彼は、どれだけ聞いてもやはり何ひとつ語ってはくれず、ただ、もう来ないでくれ、頼むからまだ来ないでくれ、と、私にひたすらに懇願するようになった。私にはその理由が分からなかった。だから私は会いに行き続け、問いつづけた。彼のことを、自身のことを、約束のことを、何度も何度も問い詰めて、彼がもう瞼を開かず、ほとんど動かなくなってしまったころ、なんとなく私は悟って、ようやく彼の元へ通うのをやめた。

そして父が亡くなって少し経った日、私は不意に竜のことを思い出したのだった。何故忘れていたのだろう、まだ生きているだろうか、もう会いに来るなと言われていたのに、どうしても、込みあげる衝動を抑えられず、今すぐにでも話を聞いて欲しくて、真夜中だったにも関わらず急かされるように裏山へ向かった。記憶よりも荒れ果てている山林を、用水路沿いにしばらく登って、足元もおぼつかず、暗がりに何度もつまづき、ずきずきと痛む足を引き摺り、息も切れ切れになったころ、ようやく見覚えのある空き地が見えてきた。しかし竜はいない。もう死んでしまったのだろうか、あるいは、子供の頃に見たおかしな夢だったのだろうか、そう思って、なんだか急に馬鹿馬鹿しくなってしまった私は、戻ろうかと帰路の川辺に身を向ける。すると、川沿いの苔岩に何かが彫ってあるのが目に留まった。しかし暗くてよくわからない。近づき、目を凝らして見るとそれは何かの名前のようだった。びっしりと、長大な名前の羅列がまるでなにかの呪文のように刻まれている。継ぎ目なしに列をなす名前はもはやどこから区切るのかもわからず溶け合い、岩の凹凸に沿って彫られているから、辿っているうちに蠢いているかのような錯覚をおぼえる。列の最後には祖父と父の名前だった文字列が混ざっていた。それはずっとずっと前に彫られたようにも、今まさに彫り起こされたようにも見えた。

山を降りたら、私は息子に教えなければならない、
裏山には竜が棲んでいる、と、




 flaw

狭い街に憧れていた。山もなく、森もなく、断絶を知らない光と、音信不通の人の海。卒業してまもなく、期待と憧憬と少しの憂慮を抱えながら飛び込んだその街はしかし、とてもひとりがひとりぶんとして暮らせるような街ではなかった。蚕の蔟部屋のような一画に梱包され、どこを見ても汚れた鉄の塀に囲われたなかを、箱から箱へ搬送されていく。雑踏と喧囂のなかでひたすらどこかへ流されつづけた私は、気がつけばわずかばかりの手当と処方箋を握って、実家のあるこの田舎街に運ばれついてしまったのだった。海のそばにあったはずの実家はいつのまにか陸に打ち上がり、海は遠くなって、付近には可愛らしい名前のついた住宅の森が出来あがっていた。小洒落た家が規則正しく整列し、庭には光沢のある新車が連なっている。私が離れたたった数年で、あたり一帯はすっかり都会にかぶれてしまった。いちめんに海を望めることだけが自慢だった実家の窓からは紺青が消え、かつての展望はすべて人の生活に侵食されていた。

いきなり帰ってきた我が子を、両親は何も言わずに迎え入れてくれた。私が憔悴しきっているのを察したのかもしれない。久しぶりに誰かの作った料理を食べ、あたたかい湯船に浸かった。自室は家を飛び出してきたときから何も変わっておらず、まるであの瞬間から部屋そのものの時が静止しているようだった。定期的に手入れはされているようだったが、家具などはそのままで、窓の外のせわしない街並みだけが時の移ろいを感じさせた。何をする気にもなれず、それからしばらくはひたすら無為に過ごした。寝て起きて食べるだけの日々が続いた。はじめは黙って見守ってくれていた両親もやがて、これからどうするつもりなんだ、と、やんわり焦りを促してくるようになった。私は答えない。答えられない。運ばれる以外のやりかたをすっかり忘れてしまった。

せっかく地元に帰ってきたということで、かつての旧友たちと連絡をとりあって、みんなで飲みに行くことになった。懐かしい顔ぶれは揃って私を見つめ、なんとなく雰囲気が変わったね、と言う。私にはむしろ、みんなの方がどことなく雰囲気が変わったというか、どうにも浮き足立っているように感じられた。都会はどうだったかと聞かれる。当たりさわりのない苦労話をする。酷い話だ、と彼らは言う。みんな私が帰ってきた理由に薄々勘付いているようだったが、あえて痛ましい患部を避けるように、取るに足らない些事な質問をつづけた。だんだんと、まるで傷口を外側からゆっくりと広げて晒し上げられているような気分になってきて、いよいよ私は気分が悪くなって、そうだ、親が呼んでいるから今日はもう帰らなければ、などと言って、途中で逃げるように会を抜け出してしまった。去り際に向けられたみんなの不気味な視線。やはり彼らが変わってしまったのだ。

しだいに両親は今後のことについて詰問してくるようになった。捲し立てるような早口で、私に早くまともになれと言う。お前はおかしくなってしまった。直さなければ。二人の態度はどんどん辛辣になっていった。食事のときも、風呂に入っているときも、しまいには寝ているときですらも、二人の罵声が聴こえてくるようになった。絶え間なく繰り返されるその文句にいよいよ耐えられなくなって、寝るとき以外は家を空けるようになった。あてもなく街を徘徊する日々が続いた。私にはだんだん奇妙なものが見えるようになっていた。近所の人たちの身体を、なにか黒い芋虫のようなものが這っているのだ。芋虫はうぞうぞと這い回り、彼らの身体に煤のような跡をつけていく。その跡もだんだんくねり出して、やがて別の芋虫になり這いずりはじめる。これはどういうことだ。みんななにかに取り憑かれている。しかしこんなことを言えば、また奇怪な目で見られてしまう気がして、私は誰にも打ち明けなかった。打ち明けられなかった。いつのまにか両親の身体にも付いている芋虫。見ていると気分が悪くなるから、あまり視界に入れないよう顔を伏せて過ごすようになった。

両親の声はいまや怒鳴るようなものに変わってもはや寝ることすらままならない。昼も夜も街を徘徊し、なるべく遠くを巡回しているのに、両親の声や旧友の声、耳に残る色んな声が響いて、いまや街のどこからでも耳に届くようになっていた。すれ違う近所の人たちもみんな数多の芋虫を纏いながら、ぶつぶつとなにか意味不明な言葉を呟いている。いや、叫んでいるのかもしれなかった。どこからでも聞こえてくる。たまに知人に遭遇することがある。私を変わってると言う。変わっていない、私はあれから少しも変わっていない、と答えると、首を傾げてこれまたぶつぶつよくわからないことを叫びながら走り去ってしまう。誰も彼も理解不能な呪文のようななにかをぶつぶつと呟きながら、口々に私が変わっているという、変わってしまったという、みんなの身体の芋虫はどんどん分裂し、たくさんの芋虫に覆われた彼らはもうのっぺらぼうの影みたいになっていて、元の身体が話しているのか取り憑いた芋虫が話しているのかもはや分からない。ああそうか、人に虫が憑いているのではなく、虫に人が憑いているのだな。肉の身体に収まりきらなくなった芋虫たちは溢れて地べたにぼとぼと落ちる、なんだか訳のわからないことを喚き散らしながらそれぞれが自我のままに蠢き、手当たり次第に這いずり回るせいでそこら中はもう煤だらけ、ぐちゃぐちゃの這い痕が子供の落書きみたいに道路を、塀を、外壁を覆っていびつな蛇行をえがき、まるでなにかの伝言のようにも見える複雑な紋様がそこらじゅうに残されている。あおく古い景観を埋め立て隠すように、上から作った規則的な街並みはすっかりみにくく変わり果ててしまった。真新しい構造はすべて汚され、いまにも元のすがたへかえろうとしている。黒は浮かんだり沈んだりを繰り返す、人からのがれたおびただしい数の芋虫はいちように黒い糸を吐き出し、私になにかをうながしながら繭をつくる、繭をつくる。そこらじゅうに人の形をした黒い点々がぶら下がって繭のなかでくねくねとくねり変態していく、黒い部屋の中から私が変わっていると謗る彼らはどろどろに溶けて運ばれやがて羽化するに違いない、墨色の鱗粉を撒きちらして飛び回るかつて芋虫だった人々、あるいは人々だった芋虫が舞うたびにもう声も聞こえなくなって羽ばたきだけが瞳の裏側を揺らす、いまや視界のぜんぶはくらい煤に埋もれた黒の部屋、何も見えないから私は記憶を浚って、掬いあげた景色や言葉を忘れないようにぶつぶつとたえまなく暗誦する、やがて口からぽろぽろとなにかが溢れだすようになってそれが皮膚のうえを這いまわるのを感じた私はいっそう早口になって、だからもっともっと中身が出るようになって喉が引っかかり声が出ない、暗がりにたくさんの意味の分からない絶叫だけが呪詛のように響くから負けないほどに大きな聞こえない声で残ったものをひたすらに唱え、ここでこうしてどろどろと取りこぼし歪められ形の崩れていくものをこんなにも、ひとつでも残るように唱えつづけるわたしはこんなにも、変わらずにいて変われずにいて、ただぶつぶつとただどろどろと終わらない詞を唱えつづける、唱えつづける、



 flawer

花の鎖骨のあいだから滔々と湧きいでる木魂、
かえすものもなく、とどまるわけもなく、
この地に降り、この血に降り、
薄明の浅いねむりに、触れぬ手の影絵を浮かべ、
咲いている、繚乱を踏みぬいて躍る蹄たち、
朝までやむことのない足音は雨季とよばれ、
枯れては結ぶ、の、
折形を、再演する黒衣、
齟齬に潰れた花片の符号を繋いで、
ふと思い出した象りをつくっては、
そのたびにまた溢していく、

脈絡はたのしく飛び跳ね、是非もなく、
触覚は息をひそめて水棺のなか、
欄外の皮膚を史前の傷が掻く、
横断し、そのうえを縦断し、
格子模様が虹彩を満たすここは塩柱の街だから、
耳塞ぐように瞼蕾んでは、
凍えるものがたりにふけっていた、
含意は天からくだり、
寓意は点からくだり、
とうに帰るところもときも忘れて、
ただとぐろに手を合わせる因子の、
そのひとつから、あるいはそのすべてから、
はぐれては惹かれ、惹かれては浮かび、
いまや解読不可能なむかしがたりが、
歓楽の先、小路の暗がりへ唆す、

知己の獣たちの群れに呑まれ、
ただうずくまって、
最後尾の眩暈が通り過ぎるのを待っていた、
逆光の映写幕、黒点が暈けて、
点描の蛾があかりを游ぐ、
鱗粉からこぼれ箱詰めされるうろこたち、
咀嚼されるたびまじりまじわり、
粘度を帯びる植生、の、
繭から垂れる、黒い唾液が、
詞を浸し、死を浸し、
水葬の手つきで遺失の不明を浚っていく、
ほら、
もうぜんぶ湿っているよ、
しるすため、しるされるための繊維は、
みにくく弛み、こうも組織は爛れて、
腐乱のこんな耽溺だけをたよりに、
なんどもなんども不備を捧げつづけた献呈、
もうすぐ火葬の季節が来るね、
炙りだした野にはひどく微熱が滲み、
祟りの記録が咲きほこっているだろう、
点眼する、千紫万紅、
とおい星のように灯って、
ああ、
なにもかもが正しくみえた、


乾いた砂漠のなかに立っているあなたへ、
花の下に遺した電報を、よんでください、
それはきっと吉報だから、
どうしようもなく吉報だから、

どうか、
花の、瞳の、
流す、血を、
分かち、
この呪詛の、
降るのを、

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