無職流・深夜ラジオを記憶に残さないという楽しみ方

「メール職人になろう!」のコーナー、3月号のお時間です。

さて、ラジオにメールを送り続ける生活を始めて3か月が経ったところである。結論から言うと、3月は全敗であった。「メール職人になろう!」のコーナー、今月はこれで終了です。来月をお楽しみに。

現在私が聴いているラジオは全部で9本。そのうちメールを送っているのは8本で、その中の1本「菅田将暉ANN」は3月で終了してしまう。

「菅田将暉ANN」について少し語りたい。聴いている全ラジオの中で一番好きな番組だった。私が菅田さんを知ったのは2013年に放送されていた連続ドラマ「泣くな、はらちゃん」である。このドラマでの菅田さんの役柄と言ったらもう、本当に、本当に「うざい」としか言いようがない、憎たらしくてイライラする最悪の「クソ弟」であった。私はこの時菅田さんを「クソ弟」としか認識できず、他の番組やドラマや映画で見かけた時には必ず「クソ弟」と呼んでいた覚えがある。本当に申し訳ないと思っている。ただ、この「クソ弟」役があまりに脳裏にこびりついてしまって離れなかったのだ。

その後色んな映画やドラマを観ていく中で、しっかりと「クソ弟」のイメージを拭い去ってくれたのが、2016年の映画「セトウツミ」と、2017年の映画「帝一の國」である。セトウツミでは真っ直ぐで愛おしすぎる男瀬戸を、帝一の國では笑いと狂気に満ちた生徒帝一を演じていた菅田さん。私はそれを見てようやく、「菅田将暉という俳優がいかに凄い俳優か」を認識したのである。

そんな菅田さんのラジオが始まったのは、2017年のことらしい。「らしい」というのは、その頃私は菅田さんを「俳優・菅田将暉」としか見ておらず、ラジオをやっていることなど全く存じ上げなかったのである。バラエティ番組などでトークをする菅田さんを見て、「この人演技も上手けりゃトークも面白いな」などとぼんやり認識してはいたものの、ラジオまでは辿り着くことができなかった。

私が「菅田将暉ANN」に辿り着いたのは、2020年、ほんの2年前のことだ。私より先に「菅田将暉ANN」に辿り着いていた弟に勧められ、きっかけなど何もなく、本当にたまたま聴いたのが始まりだったように思う。

「菅田将暉ANN」の菅田さんの声は、昔から知っている、近所に住むお兄ちゃんのような安心感があった。とにかく、あのカメレオン俳優だとは思えないほどに距離が近かった。一般人と同じ目線で、ニュースにツッコんだり、知らないことに驚いたり、知ってることをドヤってみたり、リスナーを「お前ら」と呼び、時に突き放したり時に操られたり、わざとピエロを演じてくれたり、本気で転がされたり、どちらかというと「ラジオパーソナリティ」というより「一緒に遊んでくれている」という感覚に近かった。何より菅田さんは、本当によく笑うのである。大声で、本当に楽しそうに笑うのである。どんなしょうもないことでも、必ず大声で笑うその声を聴いて、どんなしょうもないことでも釣られて笑ってしまうのである。

間違いなく、私のラジオ好きは「菅田将暉ANN」から始まった。いい深夜ラジオとは、「いかに内容を覚えていないか」に収束すると私は思っている。全く何を話していたか覚えていない、でも確実に笑い転げた、その記憶だけが残っているラジオが、一番いい「ラジオ」なんじゃないかと思っている。その結論を導き出してくれたのが、「菅田将暉ANN」なのである。勿論、記憶に残る「神回」と呼ばれる回もいくつか思い浮かぶ。でも、ほとんどは何の話をしていたか記憶にない。それでも確かに、私は菅田さんのラジオを聴いて笑わなかった日が無いのだ。正直、話の内容なんてどうでもいい。何か辛いことや悲しいことがあったとしても、どうでもいい話で腹がちぎれるくらい笑って、だけど何を話していたかは覚えていない、でも本当に面白くてその時間だけは辛いこともすっかり忘れられた、というのが、一番優しい寄り添い方ではないか。「菅田将暉ANN」は、辛い日々にそんな一番優しい寄り添い方をしてくれたラジオだった。

この文章を書いているのは、2022年4月1日。4月4日に、「菅田将暉ANN」の最終回が放送されてしまう。もちろん、メールを送り続けてはいたが、最後の最後まで読んではもらえなかった。それでも、なんか、全然いいなと思うのである。私は十分遊んでもらった。

もしかすると、最後にはこういう結論に達してしまうものなのかもしれない。そして、それでいいのかもしれない。それが純粋なラジオの楽しみ方なのかもしれない。結局私たちはラジオパーソナリティに遊んでもらっているだけなのだ。

mazireal

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