遅くなりましたが、「メール職人になろう!」4月号のお時間です。
結果を先にお伝えすると、4月は1件だけメールを読んでもらえた。しかも、「いつか必ず読んでもらうぞ」と目標にしていたラジオで。あまりに嬉しすぎて、その時はさすがにツイートもしてしまった。「メール職人」たるもの、常にミステリアスで謎に包まれた存在でありたかったのに……
メールを読んでもらえるときは、いつも突然やってくる。
ラジオにメールを送るというのは、趣味の中でも一番苦しい趣味だと思っている。毎日メールのネタになりそうなことを探し、小さいことでもすぐにメモし、それをコーナーの趣旨に合うように編集して、ようやく一通のメールが出来上がるのだ。さらに、「プロメール職人」たちは、そんなメールを週に何百通も送っている。「アマチュアメール職人」の私がそれに食らいついていくためには、出来る限り多くのメールを書かなければいけない。そんなことばかりやっていると、突然、「面白い」とは一体何だったのか分からなくなる時がある。自分が今書いているメールは「面白い」のか? これは「面白い」エピソードなのか? これはコーナーの趣旨に合っているのか? いや、コーナーの趣旨から「適度に外れている」か?
自分の「面白い」に自信が無くなったら、もうメールを「編集」する気力など残っていない。なんなら、あんなに一週間せっせと貯め続けたメモすら見る気力が無い。そして、私は「もうどうにでもなれ」と思いながら、その時出てくる言葉を全部繋げたかのようなメールを書く。そして、見直すこともなく送信ボタンを押す。読み直したりしていないから、送信ボタンを押してしばらくすると、もう送ったメールのことなど覚えていないことがほとんどだ。
そうして、ラジオの放送を迎え、ぼーっと聴いている時に、突然私のラジオネームが読み上げられる。いつだってそうだ。何時間も編集を重ねたメールより、その時言葉のままに書き殴ったメールの方が、読んでもらえてしまうのだ。
これが、ラジオ投稿の面白いところだ。その時になるまで、本当に何が読まれるか分からない。そして、心が折れそうになったときに突然読まれる。諦めかけていたその時に読まれるもんだから、喜びも大きい。そして、「またメール送ろう」という気持ちにさせられる。困った趣味だ。だからやめられない。
とはいえ、メールを送り続けるにはかなりの労力と気力が必要なことも事実である。「メール職人」の先輩である弟に話を聞くと、最近はもうほとんどメールを送っていないそうだ。まず、人の生活というのは変化し続ける。ラジオを聴く暇も無いくらい忙しくなったり、ラジオは聴けてもメールを考える時間が無くなったりすることもある。そんな時、無理にでもメールを考える時間を捻出しようとすると、今度は「メールが読まれない」ことすらもストレスになってしまう。
さらに、昨今のラジオブームもあって、良質なラジオが増え続けている。深夜ラジオだけでなく、ポッドキャストやYouTubeでもラジオは流れている。楽しかった番組の終わりがあるのと同じくらい、新しい番組が始まっている。一つの番組は大体、15分から2時間ほど。聴きたいラジオを全て聴くだけでも、相当な時間が必要だ。
それを考えた時、どうしても「メールを送る」という行為を後回しにしなければいけない時もある。毎日、どんな時もメールを送ることができるわけではないということを、肝に銘じておかないといけないのだ。それを自分で理解してようやく、「ラジオにメールを送る」ことを心の底から楽しめるようになるのである。
さて、長々と文章を書いてしまったが、「4月はほとんどメールを書けなかった」という私の言い訳はそろそろ終えようと思う。今度からは、「既に読んでもらったラジオでもう一度メールを読んでもらう」ことを目標に追加し、楽しみつつメールを送るつもりである。
mazireal