無職流・漫才とコントと大喜利の楽しみ方

「メール職人になろう!」5月号のお知らせです。いつも通り結果から先にご報告すると、5月は惨敗でした。メール、むずくない?

ラジオにメールを送り始めてから、「お笑い」という物への見方が大きく変化した気がしている。面白い、という感情は、人が感じる感情の中でも特に理解できない感情だ。何より、幅が広すぎる。例えば「漫才」や「コント」というジャンルでは、人は自分の予想を遥かに上回られたときに「面白い」と感じるのではないかと推測する。漫才やコントも、分類していけばさらに細かい「型」というものがあるのだけれど、あえて一つにまとめるとすれば「期待を裏切る」ということに集約されると考えている。

有名なものとして例を挙げるとすれば、前回のキングオブコント内で爆笑をかっさらった空気階段の「火事」というネタがある。大きなサイレンの音からコントがスタートし、何事かと思っていたら、パンイチで目隠しをされた男が現れる。どうやらその男はSMクラブに来ているらしいと分かったら、続いて同じくパンイチで顔にストッキングを被った男が登場する。間抜けな姿の二人が、驚くほどキビキビと、カッコいい言動を繰り返しながら火事を切り抜けていき、ストッキングを被った男が消防士であることが明かされる。これはコント開始数分の出来事にすぎず、ここからさらに私たちの「期待を裏切る」展開が次々起こる。さらに言えば、私たちが「次の展開を予想する間も無く」、予想が裏切られていく。テンポも裏切り方も斜め上をいく、私の大好きなコントだ。

しかし、漫才やコントの基本が「期待を裏切ること」であるのに対し、「大喜利」はそうではない。大喜利の基本は、「納得させること」なのだ。

漫才やコントでは、大幅に期待を裏切られた方が面白い。でも、大喜利には「お題」というものがある。絶対に覆せない前提だ。大喜利は、そのお題という縛りの中で答えを出すのがルールである。いくら期待を裏切りたいからといって、お題に全く沿っていない解答をしても全然ウケない。それに、大喜利のお題はそもそも面白いものが多い。例えば過去にIPPONグランプリで出されたお題を見てみると、「『あれ? 今日の機長チンパンジーかも?』なぜそう思った?」や「『ナポリタン』という言葉を使って相手を震え上がらせてください」など、お題が読み上げられた時点で笑いが起きそうなものがある。この、既に面白い範囲内で、解答を出さなければいけないのだ。

ラジオのメールも、ほとんどは「大喜利」である。例えばCreepy nutsANN内で行われている「大江戸シーラン」というコーナー。これは、エド・シーランの曲「Shape of you」の特徴的なイントロ部分に勝手に歌詞をつけるという「大喜利」だ。この「お題」では、使えるリズムが決まっている。そのリズムに合うように、解答を考えなければならないのだ。確かにいくらか応用は効くだろうが、こういったお題は決められたリズムにぴったり合っていれば合っているほど面白い。

では「大喜利」は一体何を「面白い」と感じているのか。大喜利というジャンルは、「納得」が一番面白いのではないかと思っている。例えば先程例に出した、「『あれ? 今日の機長チンパンジーかも?』なぜそう思った?」というお題。これに対する麒麟・川島の解答は、「当機は高度3万フィート、機長の握力は315㎏を記録しております」という機内アナウンス。これを聴いた人たちの頭には、操縦桿を握り潰さんばかりのチンパンジーの姿がすんなり思い浮かんだに違いない。つまり、解答に「納得した」のである。自分の想像を超えた意味の分からないオモシロに対して、「納得する」。この形が出来た時、大喜利解答を「面白い」と感じるのである。

大喜利の解答で視聴者を「納得」させるためには、「あるある」が必要である。つまり、今笑わせようとしている大勢の人たちの中の「常識」を知っていなければ、面白い解答を導き出せないのである。これはつまり、「大勢の期待を裏切る」というより「大勢の期待のど真ん中をいく」という行動に等しい。厳密に言えばど真ん中ではなく、真ん中より少しズレたところなのだが、漫才やコントに比べると大喜利が異質であることはもう分かっていただけたはずだ。

ここまで長々と「漫才」「コント」「大喜利」の違いについて語ってしまったが、要は「面白い」の幅が広すぎるということを言いたかったのである。期待を裏切る方がいいと思ったら、ある時は期待に応えた方が面白い時もあるし、期待のど真ん中から少しズレた方が面白い時もある。場合によって「面白い」と思うものが変化してしまうので、正解を導き出すのがとても難しいのである。

「面白い」とはなんなのか。私はいまだにその定義が分かっていない。自分が「面白い」と感じた物を少しづつ集めていけば、最終的には私の考える「面白い」の型が出来上がっているのだろうか。ラジオにメールを送るという、単純かつ簡単な行為の中で、私は人の「感覚」を紐解こうとしているのである。


mazireal

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