無職流・「くだらない」人間になることで「面白い」人間を目指す

ラジオのメール職人になろうと決めて、数か月が経過している。ちまちまと時間を見つけてはネタメールを考えつつ、「面白い」とは一体何なのかを考えている。「緊張と緩和」、「日常の中のバグ」、「想像の裏切り」、「『恐怖』の仲間」……色々と考えて来たものの、結局はシンプルなことなのかもしれない。「面白い」の種はいつも、「くだらない」から始まっている。

面白い話──例えば、「人志松本のすべらない話」なんかで芸人さんがするエピソードトークは、特別劇的なことが起きているわけではなかったりする。もちろん、そんな馬鹿なと思うくらい出来すぎたことが起きているエピソードもあるけど、大概はごくごく普通の、飲み会とか旅行とか家族との会話とか、そういった事柄がテーマになっている。そのごく普通の会話・出来事の中で起きた、一見「くだらない」事柄を、オチになるように再構成する。そうすると途端に、「くだらない」に向かって話が動き出す。そうやって動き出した話が、伏線を回収したりフリが効いたりして、見事に「くだらない」に辿り着いたとき、それは「面白い」に変わる。

こんなことを言うと「何を言っとるんだこいつは」と思われるかもしれないが、私は「面白い」とか「笑い」というものを、センスではなく何かロジカルなものだと思っていて、気付いたロジックに当てはめて組み立てるなら誰でも「面白い」を作れると本気で信じている。だからどうにかしてそのロジックに気付きたいと、ずっと思っている。でも、「面白い」の始まりが「くだらない」だとしたら、ロジックを組み立てるのがあまりに難しすぎる。話の筋に合わなかったり、意味が無かったり、オチが無いことが「くだらない」に繋がるはずだから、ロジックから最も遠いところにあるはずなのだ。

ラジオを聴いていると、「くだらない」が「面白い」であることを痛感する。ネタメールなんかは特にそうで、くだらなければくだらないほど面白くて笑ってしまう。でも、「くだらない」ことを探すのは本当に難しい。普通、「くだらない」は探して見つけるものではなくて、意図せずそうなってしまうものでしかない。それを狙って持ってくるのは、やはりプロのメール職人にしか為せない業なんだろうなと思うのだ。ただラジオにメールを送るということだけでどうしてこんなにくどくどと物事を考えているのか、自分でも分かっていない。これ自体がある意味「くだらない」ことかもしれない。

ともかく、7月はそうやって「メール職人の人たちすげえなぁ」と思うだけで終わってしまった。8月、夏休みともなると、学生たちが休みに入り、おそらくネタメールの枠もさらに狭き門になるだろう。こんなにも「面白い」とは何かを考えているのに、自分が「くだらない」人間にすらなれず、ただひたすらつまらない人間になっている事実が悔しい。くそう! 8月はきっと、私は「くだらない」人間になれるはずだ。


mazireal

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