無職流:深夜ラジオのメールを送るとき『普通の人間』でいる勇気

とっても遅くなりましたが、「メール職人になろう!」8月号のお時間です。

いつもの如く結果から言うと、8月は3通送って1通読んでいただいた。この打率すごくないか? 3通しか送ってないのに1通読まれてるぞ? すごいじゃないか。どんどん自分を甘やかしていこう。

さて、ラジオにメールを送り始めて、ようやく『読まれるメール』というのがどういうものなのか分かって来た気がする。読まれるメールに必要な要素、気付いている限りでは2つ。『新鮮さ』と『静かな狂気』だ。

まず『新鮮さ』については言うまでもない。ラジオは欠かさず毎週、ほとんどの場合は生放送で行なわれているコンテンツだ。ラジオという媒体そのものが「新鮮」でなければいけない。だからこそ、送るメールも新鮮であればあるほど読まれやすい。

ラジオメールにおける『新鮮さ』にも色々あることが分かって来た。まず当たり前の点として、ラジオ内で今現在やっているコーナーを把握しておかないといけない。当たり前ではあるものの、お恥ずかしいことに私は何度もこの点で失敗してきた。

私が聞いているラジオは主に深夜ラジオである。そのためリアルタイムで聴けず、radikoのタイムフリー機能を使って放送日翌日に聞くようにしている。しかし、忙しくて聴く暇が無かったりすると、ラジオを聴く予定がどんどんずれ込んでいくのだ。その結果、ラジオメールの締切日になっても前の週のラジオが聴けていないということが多々ある。仕方なく前回を聞かずにコーナーメールを送り、後々聴き直すと、なんとコーナーがその回で終わっていたりする。これほど恥ずかしいことはない。もうすでに終わりを告げたコーナーに、あろうことか『自分が面白いと思ったこと』を書いて送っているのだ。メールをチェックしている人からしても滑稽であるに違いない。そんな過ちを犯さないためにも、ラジオ内で今やっているコーナーを把握しておくのはかなり重要だ。

他にも、前回のラジオで盛り上がった内容や、パーソナリティが話していたこと、最近のSNSの流行などを取り入れるという新鮮さも必要らしい。それに加えて、「コーナーの最近の空気感に合わせる」という新鮮さも欠かせない。コーナーは回を重ねるにつれておふざけ感が強くなり、元々の趣旨とは大きくかけ離れていくことがあるからだ。特に私が聴いている『ハライチのターン』なんかはコーナーの入れ替わりが激しいため、おふざけモードに移行していくのが極めて早い。コーナースタートの次の週には、もう趣旨から離れたメールが増え始めることもある。そういった流れに上手く乗れたら、メールを読まれる確率が上がる。

先月3通しか送っていない人間が言えることではないが、こういった様々な「新鮮さ」が含まれたメールは読まれやすいのではないかと思っている。

さらにもう一つ読まれやすい要素としては、『静かな狂気』である。これは言い換えるなら、「奇をてらわない」「素でいる」ということだ。

私が今まで読んでいただいたメールは全て、「どうにでもなれ!」と思いながら送ったものばかりである。色んなことを散々考えて何通かメールを作ったものの、何が面白いか分からなくなり、自暴自棄になって送ったメールばかりが読まれている。

特に芸人さんがやっているラジオなんかはそうだが、メールを選んでいる人たちは、常に「何が面白いか」を考え抜いているプロの人たちだ。おそらく、そういったプロの人相手に、一般人の私ごときが何か「面白いこと」を考え抜いたところで、何も刺さらないのだろう。プロの人たちからすれば、私の辿り着いた最後の「面白い」は、ただの通り道でしかないからだ。

そうするとやはり一番強いのは、「普通」なのだろう。人はみんな考え方が同じではない。だからこそ、自分の思っている「普通」が他人から見ると普通ではないことがある。当たり前のように発した普通が、相手にとって普通ではなかったとき、相手はそこに引っかかってくれるし、ツッコんでくれる。自分の思う「普通」が、他の人から見た「狂気」になるとき、それは予想外の『面白い』を生んでくれるのだ。

私がメールを書くときに使える武器としては、もうそこしか残されていないらしい。ここからの数か月は、日常の中でふと思ったことを頻繁にメモしつつ、コーナーに反映できないかを考えてみようと思っている。そしてやはり数を打てば当たる確率も上がるので、出来る限り数打つ戦法も考えていこうと思う。

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