無職流:「メール職人」へのリスペクトの深め方

「メール職人になろう!」9月号のお時間です。

9月は本当に全くダメでした。まず、メールがほとんど送れなかった。そして、なんとかかんとか送った数通も『狙い過ぎていた』。少数精鋭で突破しようとして、肩に力を入れすぎた。これが敗因です。くそ!

1年以内にメール職人になる、という目標を掲げてやってきているが、もうすでに1年の終わりが迫ってきている。いまだに「メール職人」と名乗れるようにはなっていない。最近ようやく気付いてきたのだが、もしかして「メール職人になる」のってめちゃくちゃ難しいのでは?

「メール職人」になろうと思った場合、その名の通り「職人」になる必要がある。
この企画をするにあたって、有名なメール職人さんたちのTwitterアカウントを片っ端からフォローした。少しでも、有名メール職人の生活や、ネタが思い浮かぶ瞬間などを知りたかったからだ。
そこで分かってきたのは、彼らが本当に「職人」であったこと。毎週、複数の番組に数十~数百件のメールを送り続けている。暇な時間が多いからそうしているのではない。仕事や学校で忙しい中、「ネタを考える時間」をわざわざ作り、毎日コツコツ、一つ一つ積み重ねているのだ。もちろん、メール職人に給与はない。メールを送った数だけ必ずノベルティがもらえるわけでもない。それなのに、彼らは送り続けているのだ。毎日、数百件のメールを。

なぜ彼らはメールを送るのか。それは彼らが「職人」だからに他ならない。
「職人」という言葉を辞書で調べてみると、『自ら身につけた熟練した技術によって、手作業で物を作り出す人』と定義されていた。彼らは、技術を身につけたのだ。長い時間をかけて、自ら「ネタを考える」という技術を。
その技術を身に着けるために必要なのは、愛だ。ラジオに対する、大きすぎる愛。絶対に自分もラジオの一部になってやるのだという執念にも近い思いが、彼らを「職人」へと駆り立てた。

そう考えた時、私はふと思った。私は、ラジオを本当に愛せているだろうか。ただの「ラジオ好き」から、もう一歩先に進めているのだろうか。一歩先に進んでいないから、「職人」になれないのではないか。

私が思う「ラジオのいいところ」を改めて考えてみた。
ラジオは、現実逃避をさせてくれる。今私が生きている最悪な世界から私を連れ出して、面白い場所に連れて行ってくれる。そこには、面白いものしかない。私が今抱えている不安やら悩みやら、そんなしょうもないことは全部遠くに放り投げて、面白いもので頭をいっぱいにしてくれる。

そう、私は「現実逃避させてくれるラジオ」が好きなのだ。肩に力を入れて聞くラジオは、私の好きなラジオの聴き方ではなかった。私はラジオを聴いている間は、「現実」にいてはいけないのだ。

そう気づいた私は、ラジオを聴いている間、出来る限り頭を空っぽにするようにした。内容を一言一句覚えようとなどしないで、面白いネタメールの分析なんかしないで、ただ音が脳内を通過するようにした。これまでも好きだったラジオが、もっと好きになっていく。

1年以上かかってもいいから、「職人」じゃなくてもいいから、ラジオの一部になりたい。大好きなラジオの、一部にさせてくれ。

mazireal

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