人生を楽しむことを怖がってばかりいるから上手に生きられないんだろ

人生が何も上手くいかない、何も楽しくない。そんなことを言いながらも、24年間も生き続けてしまった。

結局これからもこんなことを言いながら生きていくんだろうな、と思う。でも、本当にそうなんだろうか。本当に、「人生は何も上手くいかない、楽しくない」んだろうか。

どうしてそんなことをするのか、と言われたら納得する答えを提示できる自信は無いけれど、この間から何度か、とにかく明るい安村さんが海外で爆ウケした動画を何度も見返している。あの動画は、見れば見るほど興味深い。
こんなことを言ってはいけないけど、日本で安村さんはいわゆる「一発屋」のような扱いを受けていた、と思う。正直に言ってしまうと、私はあの動画が出るまで安村さんのことをすっかり忘れていた。

最近の日本人は、冷たくて残酷だ。全員が全員そうではないけど、そういう風潮があるのは確かだろう。最近の日本でかっこいいとされているのは、物事を斜め上から見て、問題点をつつき、一言一言の揚げ足を取って、いかに自分がお前より優れているかを「分からせてやる」ような物言いだ。知らず知らずのうちに人をバカにした上で、バカにされて真っ当に怒っている人に対して、大人げないだとかたかがネットの意見でとか論点をすり替えて、まるで相手を本物の馬鹿みたいに仕立て上げる。本物の馬鹿なんか、この世に一人も存在しないはずなのに。差別は悪だ、とか言いながらも、「私はお前とは違う」と区別したがる。

そんなんだから、「一発屋」が生まれてしまうんだろ、と思ったりする。日本では、お笑いを笑うために見るフェーズが終わってしまっている。お笑いで、なるべく笑わないでやろうとしている節がある。笑えばいいのに。笑わせようとしてくれているんだから、笑えばいいのに。なのになんかよく分からない、「この人で笑ったと思われたくない」みたいな言い訳で、なるべく笑わないようにしようとする。誰からの評価を怖がっているんだ。誰に思われたくないんだ。

見たか、あのイギリスの人達の反応を。笑わせようとしてくれていたら、全力で笑ってみればいいのだ。そうしたら自ずと、楽しくなってくる。最初は予定していなかったであろう、コール&レスポンスまで生まれ、会場が一体になってその場がどんどん盛り上がっていく。

私は、あの空間が羨ましい。私は今までずっと、「ゲラ」と呼ばれて生きてきた。確かに私の笑いの沸点は低い。面白い、と思う範囲が広い。でも、それを「ゲラ」と呼ばれるのはなんか違うだろ、と思う。みんなこうあるべきだろ、本来は。だって、それがたとえテレビの中やネットの中だとしても、目の前に現れた人が全力でこちらを笑わせようとしてるんだから。笑わなきゃ損だろ。

そこまで考えて、ふと、もしかするとこの世界は思ってるよりずっと面白いのかもしれないな、と思う。私は、人生はクソつまらないと思っている。でも、それ自体が思い込みだとしたら、私は損をしていることになる。面白いもので溢れた世界で、面白いと思わないのは世界に失礼なのではないか?

お笑いだって、脳の奥で思う「面白い・面白くない」に関わりなく、とりあえず声を出して手を叩いて笑ってみる。そうすると、楽しくなって、自ずとその人が好きになる。
もしかすると人生も、脳の奥で感じる「面白い・面白くない」に関わりなく、とりあえず面白がってみれば、見え方が変わってくるのかもしれない。24年生きたんだ。どうせこの先も生きていくんだろう。だとしたら、せっかくならつまんねー世界をつまらなさそうに歩くより、おもしれー世界をスキップしながら歩いてみたい。

もちろん、今までの人生で構築されたネガティヴな思考が、すぐに変化するとは思えない。だとしても、ゆっくりでいいから、とりあえずなんでも面白がってみる。みんなもそうしようよ。人生を楽しむことを怖がらないでさ。私と一緒にスキップしてくれないか。

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