子宮をとってしまいたい 1

たまには本質的な話をしよう。

まだ大学に入りたての若者だった頃に仲の良い女の子がいた。僕たちは本の趣味が合い、誰も聞いたことのないような映画を運試しに何本も見に行った。大学の第二外国語でドイツ語を習っていた。スイス人の講師が流暢な日本語でペアになって”Guten Tag!”と挨拶するように言った。こういう時、僕は教室の隅で一人で二人分の会話をするのが常だった。たまたま彼女もそうだった。スイス人の講師が流暢な日本語で「あなたたち!二人でやりなさい」と言った。


作り話に聞こえるかもしれないが本当の話だ。その証拠に僕たちは決して男女の仲にはならなかった。たまたま僕にも彼女にも別で付き合っていた相手がいたのだ。だから余計に、というわけではないがお互いに率直になんでも言い合うことができた。彼氏のセックスがあまり上手くないこととか、恋人が自傷行為をやめられないときになんて言えばいいのかな、とか本当になんでも。この世界にはセックスをしないことで親密さが増すある種の関係性がある。


ただ多くの人が予想するようにそういった関係はどちらか一方が深大な自制心と臆病なほどの慎重さを発揮し続けない限り長く続くことはない。残念ながら僕らは二人ともまだ10代で自分のこと以外、というよりも自分のことさえもまだよくわかっていなかった。彼女が付き合っていた相手と別れた話をした時なんとなく僕はこの関係の終わりを予感した。実際にその関係は難破した豪華客船のような盛大なカタストロフを迎えることもなく、線香に灯した火が消えるようにいつの間にかなくなってしまった。


今でも覚えているのはその関係が終わりを迎えつつある頃、いつも遊びに行っていた寂れた映画館がある街の喫茶店で、彼女が唐突につぶやいた「子宮をとってしまいたい」という言葉だった。率直に言って、彼女は性欲が強い女性だった。それは話の端々から感じられたことだが、テーマに上ることはなかった。意図的に避けていたのか、それはわからない。けれど彼女が複数の男性と性的な関係を持っていたことは当時の僕でも察することができた。僕が勘違いしていたのは曲がりなりにも彼女はそういう関係を楽しんでいるのだろう、と思っていたことだ。


「子宮をとってしまいたい」と彼女は言った。
そして口を噤んで、気まずそうに窓ガラスから外の景色を見た。僕はしばらく考えた後にできるだけ素頓狂な調子で「妊娠する心配がなくなるから?」と聞いた。彼女は答えなかった。そのまま店を出るまで何も喋らなかった。僕は今でもあの時に戻ってやり直したいと思うことがある。まだ10代の女の子が自分の性とその衝動について、深く苦しんでいたのにも関わらず、相談した相手がその言葉を「インスタントな避妊の方法」だと勘違いしたのだ。この世界には数えきれないほどの悲劇が転がっている。


彼女が良き理解者に恵まれなかったのはとても残念な事実ではある。そのことを殊更否定するつもりも若き日の自分を擁護するつもりもないのだが、それにも増して悲しいことが一つある。
「子宮をとってしまいたい」
まだ10代の女の子がそう言ったのだ。今になってそれがどれほど悲しい出来事なのかがわかる。そして「理解」はいつだって一番大事な局面で遅れてやってくる。僕は今になって、その時彼女にどんな言葉をかけてあげるべきだったのかを考えることができる。答えを知っているわけではない。僕たちにできることと言えばいつも「考えることはできる」以上のものではない。


続く


ukari

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